全米が震撼・絶賛したニュームーブメント料理、『インド冷や汁』の作り方を公開します

クラウドファンディングリターン、『文系院生バー』にて絶賛の嵐。その驚きのレシピとは…

「新しい味覚が開くよう」(20代 限界文系院生)

「こんな組み合わせで美味しいとかあるんだ」(20代 限界理系院生)

「『味』ってこんな感じなんだ」(30代 限界会社員)

 

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「インド冷や汁」のコンセプト

すいません。少し盛りました。しかし、事実評判は良かったですし、かなり新しい料理を提案できたと思っています。今年度作った料理の中では出来が一番良かったと言えましょう(試作も8回しましたが)。

で、レシピ公開の問い合わせが幾つか来てますので、この場を借りてレシピと、そのコンセプトをご紹介します。

冷や汁」の再定義

さて、なぜ「インド冷や汁」なのでしょうか。それは「冷や汁」という料理を、アップデートできないものかと試行錯誤するうちに、「インドらしさ」を入れるとよいのではないかと考えたからです。

どういうことか。まず冷や汁が以下4つのレイヤーによって構成されている料理だと考えてみましょう。

ご飯…ジャポニカ米を冷水で粘りを取って用いる

ソース…合わせ味噌に煮干出汁。少し甘めの、さらっとしたソース

クリスプ…ごま。コクだしと香ばしさを両立。

具材…鯵を焼いたものとキュウリ。メイラード反応と歯ごたえ。動物性油脂の旨味

つまり、できるだけクセが無い飯に、サラッとしたソースが加わる。それだけでは単調なのでごまのクリスプさとコクが追加され、更にそこに鯵の動物性油脂のコクが加わり、最後にキュウリの爽やかな食感がバランスを取る。このような形で4つのパートが調和することで、 冷汁は料理として成立しています。

しかし一方で、個人的に冷汁はパンチが足りないのではないか。モダンキュイジーヌ的観点からアップデートできるのではないかと考えました。言うならば丸すぎるんですよね。実家に帰って出てきたら喜んで食うけど、ごちそうではないというか…

では何が足りないのか。端的に言ってそれは「酸」です。酸は味をスッキリさせる効果を持ちますので、相対的に味を濃く、個性あるものにすることができます。近年の料理では酸を効かせた料理が多くなってきていますが、これは私の考えだと、さっぱりさせるというより、より濃い味を受け入れ可能にするためにしているのではないかと考えます。

そのため、ここでは混合厚削り節+煮干しによるエグい濃さの出汁と八丁味噌をドッキングさせ、さらにしつこさを緩和するためのタマリンドを入れることで濃厚ながらもスッキリと飲めるソースを実現しています。塩分濃度を上げずにとにかく「濃さ」を追求するアプローチですね。

このソースが出来ればあとは簡単です。野菜はキュウリではなく、この濃さについて行けるくせの強い野菜、すなわちゴーヤ・ラディッシュ・レッドオニオンを用い、魚はより食べごたえのある鯖・鰹・鮪などを酢じめ・もしくは低温調理コンフィにすることで用います。そして最後にインドらしさをブーストするために、ごまではなくケツルアズキ+ヒングの最強コンビをクリスプを補強するために入れ、ライスはバスマティライスに置き換え、とどめのパクチーと相成ることとなります。まあインドに冷や汁文化なんてあるわけないので、あくまでも妄想料理なんですけどね。

レシピ

用意するもの(4人分)

バスマティライス…1合

ソースパート

水…1リットル

昆布…1枚

混合厚削り節(かつお・さば・あご等)…80g

煮干し粉末…10g

タマリンド(液体) …おおさじ5

酢…おおさじ1

八丁味噌…おおさじ4

醤油…こさじ2

クリスプパート

ウラドダルホール(ケツルアズキ)…おおさじ2

ヒング粉末…こさじ1/2

コリアンダー粉末…こさじ2

フェヌグリーク粉末*1…こさじ1/4

油…こさじ1

具材パート

油の乗った青魚の酢じめ(しめ鯖推奨)もしくは低温コンフィ(マグロ赤身推奨)…適量*2

ラディッシュ…4本

ゴーヤ…1/6本

レッドオニオン…1/4個

パクチー…2束

 

フロー
  1. 水に昆布を入れ、数時間放置後沸騰直前まで火入れ。その後昆布を取り出し、混合厚削り節を全量入れ、沸騰しない程度の弱火で20分炊く。その後八丁味噌を溶かし入れ更に5分火入れし、火を消し、煮干し粉末をいれ冷ます
  2. バスマティライスを炊飯器で炊く。水量はジャポニカ米の1.3~5倍
  3. ソースの粗熱が取れたら、ザルで液体を濾し、タマリンド・酢・醤油を入れる。塩分が足りない場合、塩で調整し、冷蔵庫に入れ冷やす
  4. ウラドダルホールと油を小鍋に入れ、煎る。色が薄茶色になり、香ばしい香りが出てきた段階でヒングとコリアンダーをいれ、香りを立たせるまで煎る
  5. 具材を切る。魚はそぎ切り、ラディッシュは薄切り、ゴーヤ・オニオンは5mm角切り。ゴーヤを軽く塩もみし、オニオンはそのまま水につけ、それぞれ苦味・辛味を抜く
  6. パクチーを処理する。茎は入れず葉だけを取り、冷水につけシャキッとさせる
  7. 盛り付ける。粗熱を取ったバスマティライスを器に盛り、その上に静かにソースをかける。具は中央に魚をおき、周囲に野菜をもりつけ、クリスプをふりかけた後パクチーで覆う

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ソースのイメージ



コツ
  • とにかくこの料理の重要な点は、スープのボディです。そのため、非常識なレベルに濃い出汁を用意する必要があります。そのため化学調味料を使っても良いです。
  • 同様に、八丁味噌は良いものを大量に入れてください。私はカクキューの「三河産大豆八丁味噌」を用いています。醤油と塩は塩分調整用で、旨味とボディは出汁と八丁味噌でバランスさせる必要があります
  • 酸味と甘味は原則タマリンドだけで出しますが、何回か作った感じだと酸のパンチが足りないので、醸造酢を少し入れています。ただ、これは私の使っているタマリンドがタイ産なためかもしれません(インド産のほうが酸っぱいらしい)。
  • クリスプパートにおいて重要なのは、ケツルアズキとヒングの香ばしく、かつ少し肉々しさを感じるような香りで、これは代替が難しいです。両方入手性が悪いですが、新大久保などのエスニック食材屋で手にはいります。
  • 魚はしめ鯖が一番楽ですが、青魚・赤身魚ならだいたいなんでもいけます。低温コンフィにする場合は、少し酸が足りなくなるので、仕上げにバルサミコあたりを垂らしても良いです。
  • 野菜はこの料理においては歯ごたえと違う味を入れることで飽きさせないようにすることを主眼においています。別の野菜に置き換えても良いですが、きゅうりなどよりもクセがあるものを入れたほうが、かえって調和すると思います。チコリとかいいかもしれません。
  • 実はジャポニカ米で作ってもうまいです。その場合は、少しパラパラになるよう、水を少なめに炊いてください。
  • あるならパパド(インドの薄豆せんべい)を揚げてふりかけても良いです。ごちそう感が出ます。

最後に

なんかの間違いで評判が良ければ、クラウドファンディングで出した『スウェーデン人が聞きかじって作ったフィッシュアンドチップス』『牛タン二郎』『フラクタルブランマンジェ』についてもレシピを公開します。

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スウェーデン人が聞きかじって作ったフィッシュアンドチップス

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牛タン二郎

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フラクタルブランマンジェ





 

 

 

*1:なくても良いです

*2:好きなだけ載せてください。多すぎると下品な感じになります。

第48回総合科学技術・イノベーション会議:「研究力強化・若手研究者支援総合パッケージ(案)」に関する所感

若手研究者のキャリアラダーに関する調査を実施しています。対象者の方は是非お答えください。

docs.google.com

対象者は、

①博士後期課程に所属する大学院生(社会人院生含)

②博士後期課程満期退学・博士号取得後、大学のテニュア職に就かれていない方

③博士後期課程満期退学・博士号を取得し、テニュア職に就かれて5年以内の方(テニュアトラック職含)となります。

研究分野・性別・年齢・国籍などは不問です。

 

明るい話の裏は、暗い

www3.nhk.or.jp

headlines.yahoo.co.jp

 1月後半から2月前半にかけて、2つの異なるテイストのニュースが耳に入ってきた。一つは、若手研究者の支援案を政府が策定したというもの。もちろん今後様々な横やりが入っていく中で、その中身は変容していくだろうが、何らかの策が打ち出されることはほぼ間違いないだろう。その策に対する具体的な評価は、後ほど述べる。もう一つは、「氷河期世代」の研究者へのインタビューだ。この記事では以下のような記述が見られる。

 

 昨秋、チャンスが訪れた。応募していたポストの面接に呼ばれたのだ。推薦してくれた教員もいて、合格の手応えはあった。50歳にして、ようやく専任教員になれると思ったが、結局、自分より若い人が選ばれた。事情を聞くと、教授会では川本さんの採用が決まっていたものの、経営陣が「若い方がいい」と反対したのだという。
 国は「第5期科学技術基本計画(16~20年度)」で、若手研究者の育成が必要として、40歳未満の大学教員の数を1割増加させる目標を掲げる。川本さんは自身が不採用となったのもこうした方針が影響したと考えている。周囲でも、30代で博士号を取った後輩が専任教員となるケースが相次いでいる。「団塊の世代からは、『われわれがやめたら売り手市場だから」と言われて我慢してきた。ようやくポストが空いても、今度は補充されるのは30代。僕らは完全にはしごを外されたようなもので、一番割を食っている」
 心が折れた。「もう自分は必要とされていない。事実上廃業をつきつけられていると思います」

 指摘するまでもなく、この2つのニュースは密接に関連している。片方には、支援される「若手」がいる。彼らの人生は真剣に検討され、その未来は約束されていないにせよ、決して暗いものではない。もう片方にはその結果として打ち捨てられた氷河期世代が居る。彼らの生は、「効率化」する大学経営の中で使い捨てられ、顧みられようともしない。

 こうした顛末に対し、歴史的な形でその構造の問題を指摘することは可能だろう。すなわち、「民間」感覚の導入という1990年代以降進んだ公共セクターへの改革が、結果的に人々の生を放逐し、かつ歪な組織構成――今や日本の大学の多くは、日本大企業と同様に、50代以上のシニアと、30代以下の若手のみによって構成されており、その中間層は極めて薄い――を生み出したのである。だが、この問題は既に多くの論者において指摘されていることだろうから、ここではこれ以上問題としない。私が--恐らく支援対象に含まれる「若手」としての私が--問題としたいのは、よりプラクティカルな次元のもの、さらにそこで生じている断絶を、こうした雇用以外の側面から検討し直すことである。

果たしてこれは「支援策」なのか

 まず、大勢として今回の案が「前進」として捉えて良い案であるということは前置きしておきたい。つまり、本案の施行が、「若手研究者」を必ずや窮地に追いやるだろうとは、現状考えにくいということである(その裏にある犠牲はここでは一旦おいておく)。だが、それでもなお、幾つかの議論を、以下のペーパーから論じることができるだろう。

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研究力強化・若手研究者支援総合パッケージ(案)

 第一に、今回よく話題にもなった「処遇の向上」をめぐる議論である。ここでは、「5割」という数値目標が具体的に挙げられた上で、「将来的に希望する博士後期課程学生が生活費相当額程度を受給できるよう」になることが「早期達成」の目標であることが示されている。これは一見、画期的に見える。

 だが、事実をよく精査すれば、そこまでのことではないように思える。第一に、本案が「修士課程からの進学者数の5割」を目標にしていることが指摘できる。つまり、それは博士課程進学者の総数ではない。もちろん、これは日本において企業派遣型に代表される社会人博士が一定数居ることを考慮してのものであると思われるが、それゆえ実際の支援総数は、博士全体の約2割である1万5千人にとどまる見込みが提示される。

 それでも良いではないか。何故ならばここで書かれているように、現状は1割にすぎないのだから…という意見もあるだろう。だが次にここで考えなくてはならないのは上に書かれている「希望する」という文言である。下記資料にある通り、日本において修士課程から博士課程へ入学する人口は、おおよそ9000人である。しかし、進学者であれば理論上誰でも提出することが可能な特別研究員制度への申請者は、約3500人と入学者総数の半数を割っている。つまり、現状の制度を維持したままなのであれば、こうした支援を「希望する」院生数は、現状の数字を見る限り、修士課程からの持ち上がりの院生数の約4割程度となるだろうということだ。

 では、そうなれば実際の支援規模はどうなるのだろうか。希望する院生数の半数に受給することを目指す場合、それは単純計算で30000*0.4*0.5となるので、総数としてみれば6000人となる。これでは、7500人程度と思われる現状の支援規模を下回る*1。では、希望総数を踏まえないで、全体の志願者数に応じて資金を配分するのだろうか。しかしそれは考えにくい。というのも、単純にそうなのであれば、志願者数を踏まえるとき志願者ほぼ全員に資金が渡ることになってしまうし、なおかつ恐らく副業禁止規定によって申請をしない傾向にある情報系・医歯薬系に対し、明確に不利な取り決めとなってしまうからである。文科・経産双方が噛んでいる本施策の意志を鑑みるのならば、そうしたことをするとは考えにくい。では、副業禁止規定など、ほかからの収入を得ることを完全に撤廃して本制度を導入するのか?実はそれも考えにくい。なぜならば、そうであるのならば本制度から「社会人博士」を除くことの理由が何もなくなってしまうからである*2

 以上のように、「5割」という数値目標は一見バラ色の未来を若手研究者に約束しているように思えるものの、数値を精査するのならばそれは必ずしも保証されていないことがわかる。言い換えるのならば、現状の文面からは、どのような影響を研究者にもたらすかについては、不明瞭な点が多すぎ、評価できないのである。

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資料 5 中央教育審議会大学分科会 大学院部会(第81回) H29.5.30

 

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特別研究員の申請・採用者数

断絶が意味するもの

 それでも明確にわかることがある。それは、ここで論じられているのはいかにして「博士院生」や「若手研究者」を「活用」するかなのだ、ということである。本施策において、雇用関連で示されている施策は以下の3つ、すなわち「若手研究者(年齢のみによる区分!)の大学内における量的ポスト拡大」と「優秀な研究者への研究費重点配分」、そして「産業界へのキャリアパスの導入」であった。これらは、実のところ研究者側が求める支援のそれとは微妙に食い違っている。第一に、年齢のみによる区分は、近年の科研費行政における「若手」の定義と明確に異なる。つまり、そこでは新卒市場に乗る「若手」のみが優遇されている。第二に、議論は全般的に選択と集中を前提とする論旨でしめられているが、これが近年批判されている問題を孕んでいることは論をまたない。第三に、産業界への理工系への採用者数増加を実数を持って目標としていることは、もはや彼らがアカデミアの量的拡大を目指しておらず、「ポスドク一万人計画」の夢を再び再現しようとしていることを現している。

 ここで重要なのは、こうした論調からわかるように、優遇された「若手」においても、その未来は決して明るくないということである。確かに彼らは、博士課程進学によって少なくない生活費を国から受給できるのかもしれない。だが、彼らの就職が、今まで夢見られていたような形で実現する可能性が高まったわけではないし、その先にあるのはあくなき競争による研究費レースである。つまり、そこでは「自由な研究環境」は殆どと言っていいほど保証されていないのだ。

 そしてここに一つのシニカルな断絶がある。上記したインタビューのインタビューイーの研究風景を、記者はこう描写する。

 

大学には個人の研究室はなく、自宅でこつこつと研究を続けた。本や資料は8畳間に三つ並ぶ本棚に収まりきらず、床にも積み上がっている。論文や著書を積極的に発表し、「外国文学の研究者の中では業績は多い方」と思う。研究内容は、芸術を通してフランスの民主主義の基盤になったものは何かを整理して紹介するもので、日本に民主主義を根付かせるためにも必要な仕事だと考え、やりがいも感じていた。

 

 こうして描写される彼の研究風景は、窮乏と結びつけて論じられる。だが大事なのは、それでもなお彼は自分の研究の意義を失っておらず、その研究を自らの生活の中に組み込み得ているということである。そこには2000年代以前、かろうじて文系アカデミアに残っていた文化とでも呼ぶべき、研究の意義の個人への帰属が、その不遇さゆえに逆説的に保証されている。言い換えるのならば、確かに彼は「世代」によってアカデミアから放逐されたのだが、それゆえにその前にある「研究」の「価値」をめぐって生じうる放逐からは逃れることができているのだ。

 もちろん、人間は、飯を食わずして生きていけない。だから、この私の評価はブルジョワ的な、「上からの」目線である批判を甘んじざるを得ないだろう。だがここで私が問題としたいのは、こうした「国民経済」への奉仕をその目標とする科学技術政策は、確かに税金投下という面において重要なロジックを提供するものの、それとまた別にアカデミアに従事する人々の心性は確保されなければならないということである。つまり、それは研究とは本来的に喜びのために行われるべきものであって、それ以外の外在的要因はあくまでも剰余でしかないということだ。

 

babibubebobobo.hatenadiary.jp

 

 以前、私は「研究者」を目指すことを「罪」と捉える議論と、「研究者」の「活用」を唱える議論が、実のところ同一の構造、「利用可能性」をめぐる価値基準の構造によって支配されていることを論じた。実のところ、アカデミシャンにとって、経済的自由とは研究を続ける自由を支えるためにあるのであって、前者は至上命題ではないはずなのだ。この、実に当たり前の陳腐な言明が、世代間格差をめぐる論争に巻き込まれ、いつしか失われてしまうことを、すなわち「若手」と「氷河期世代」の格差が、経済的問題にのみ縮減されて論じられてしまい、その背景にある「研究」の質的変容が忘れられてしまうことを、私は最も恐れている。

*1:現状の支援総数はDC2も含めているだろうから、3年支給を前提とした本制度であれば資金総額は増えるかもしれない。とはいえ、現在の年次ごとに申請できる多段階審査を捨て、修士課程時に審査する制度とするのであれば、それはそれでかなりの問題となるだろう

*2:そもそも社会人博士を制度から排除するということは、近年のリカレント教育に代表される学び直し施策からは明確に異なる思想が本施策に反映されていることを示している

アレ★clubが発行する『アレ』vol.7に寄稿しました

*『アレ』の刊行番号を誤記しておりました。深くお詫び申し上げます(2019/11/27)。

査読論文に書けないことをいかにして書くか、そしてそれに意味はあるのか

標記の通り、アレ★club発行の『アレ』vol.7に「『委託社会』の存立構造――政策コンサルタントエートス分析から」を寄稿しました。一般書店やhontoでも購入できるようですので、皆様もしよろしければご購入検討ください。

 

さて、大学院生というものは、一般に査読論文を書く生き物とされています。最終的に博士論文を仕上げるために、ですね。そうなると、こういう同人誌ーーとはいえ本雑誌は一般書店で流通してますし、編集規模だけ見れば中小出版社と変わらないなというのがお付き合いした所感でしたが*1ーーに寄稿する意味って、何なのでしょうか。本記事はこれへの回答であり、言い換えるのならば、「なぜこの大事な時期に、一見『お遊び』に見えることをお前はしたのか」という問いに対し、回答を残しておこうという意図があります。

査読論文のスタイル

査読雑誌に投稿したかたであればわかるかと思いますが、査読論文には作法があります。それは、単に社会学評論スタイルガイドに従えばよいというものではありません。まず、先行研究に即した問いを発し、それを解決可能な問題に縮減し、その解決法を図示し、それに即して具体的な議論を行わなければなりません。これは別に私のやっているような歴史学的な社会学研究においても例外ではなくーーむしろその自由性の高いスタイルにより、一層このことは意識しなければならないように感じますーー、言い方を選ばないのであれば自分の調べたことを一定の「カタ」にはめ込む作業というのが、個人的な査読論文執筆の所感です。

もちろんこのことにはいい面もあります。というのも、このようにフォーマットが規定されることによって、リーダビリティが上がるからです。ポエムはうまい人が書くならともかく、下手くそが書いたそれは、いかに良いことが書いてあっても読むに堪えません。そのことを考えるならば、査読論文というフォーマットはアカデミアの発展のために必要不可欠なものと言えるでしょう。

しかしながら、同時にこのことは書ける対象が著しく狭まることを意味します。当たり前ですが、文字数の規定がある以上、大きなテーマを掲げることはできません。その時数で回収可能な小さなテーマに問題関心を分割しなければなりません。しかしながら、この作業は典型的な要素還元主義でして、実際には難しいところがある、というのが正直なところです(小さなテーマを集合させても大きなテーマほどに魅力ある問いにならない。結果的にトリビアルなものとなる)。もちろんそれはお前が下手くそだからだ、という回答もあるでしょうが、同時にこれは抱えているテーマにもよるなというのが、私の所感です。私の例で言えば、なぜ日本における「消費者」概念の変遷を研究すべきなのかを説明できたとしても、なぜ1930年代の消費組合運動の分析をしなければならないのかは、その対象からだけだと説明しづらいということです。

「書けないこと」を書くこと

そして査読論文にはもう一つの制約があります。それは、「事実」を書かなければならないということです。何を当たり前のことを、といわれるかもしれません。しかしこれが時として困難な問いを提示します。

たとえば今回、私は「政策コンサルタント」と呼ばれうる職種――私がかつて行っていた業務――の「エートス」を分析することを通じて、現代社会においてビジネスパーソンが繰り出す「責任」をめぐる説明、ないしは「能力」に対する価値判断を批判的に理解することを試みました。ですので、分析のスタイルとしてはいわゆる「エスノグラフィ」に近い手法を取っています。

しかしながら、一方で私は別にエスノグラフィをするために職場にいたわけではないですし、ノートを取っていたわけでもありません。当然秘密保持契約もあります。ですから、一般的な論文で見られるような手法、すなわちいつ頃の調査結果で、ちゃんと内諾を得ていて、文字起こした言葉には裏付けがあって、という形はとれないわけです。

さらにいうのならば、こうした方法論的問題は同時に書くべき対象の制限をも意味します。すなわち、私は記述の対象やその問題を特定の個人や組織に回収させたくはなかったのです。エートス」という一種古臭い単語を用いたのは、こうした対象設定に起因しています。言い換えるのならば、私が書きたかったのは特定の個人に立脚したミクロコスモスとしての企業社会のフィールドワーク結果ではなく、むしろそうした個人や企業には回収されえない、「コンサルタント」という職種に--あるいはホワイトカラー層に--付き物の心理構造であり、そしてそうした職種に頼らざるを得ない現代社会の病理の分析だったのです。

ですから、私は今回の寄稿文にて、本稿のエピソードを「事後的に再構成し、寓意的にまとめたもの」であると明言しています。この点を踏まえるならば、本稿の議論は査読論文としては「論外」であるといえるでしょう。それは「事実」ではないからです。取り上げられたエピソードは私が経験した複数のエピソードをまぜこぜにしたものであり、発話者の人物像は複数人から拝借したものであり、さらにエピソードの具体的な内容については完全に捨象しています。ですから、本稿を読んでも私が一体どういう業務をしていたのか、どういうプロジェクトをやっていたのかについてはおそらく良くわからないでしょう。しかしそれこそが本稿の主意であり、私が目指したのはそうした完全な捨象によってコンサルタントという職種に共通する一種の「やるせなさ」を強調した形で記述することでした。更に言うならばグレーバーが言うところの「全面的官僚制」とは、一部の政策コンサルタント集団に見られる現象ではなく、その語義通り全面化していることを主張するためには、エピソードのディティールはできるだけ透明化させなければならなかったのです。

論文と評論のあいだ:あるいはなぜ私たちは査読論文というフォーマットにとらわれるべきでないのかについて

その意味において、本稿はあくまでも現代社会に対する「評論」であって、「論文」――少なくとも査読論文のフォーマット――ではないでしょう。であるならば、私がこれを書いた意味とは何だったのでしょうか。よくあるありがちな二分法、すなわち「業績主義」と「自己実現主義」以外の道からこのことを説明することで、当初挙げた問に答えることとしましょう。

まず、私はまだ学者として「半人前」であるということを前提としましょう。ではなぜ「半人前」は論文以外を書くべきでないとされるのでしょうか。それは、まだ彼が「一人前」でないがゆえに、社会を分析し解説する能力に長けていないから、にもかかわらずそれによってちやほやされることによって、折角得かけた研究能力をふいにしかねないから、であると解釈できましょう。すなわち、問題は「シロウト」が適当なことをぶっこくというところに問題があるわけです。

しかしながら私はこの態度に--実のところ共感するところもある一方で--ある問題が共有されていると見ます。それは、学者を目指すものは対象を分析する作業を精緻化する努力をすべきであり、その問題関心を「論文」というフォーマットに落とし込まないといけないというものです。言い換えるのならば、そこには「評論」とは「論文」とは別様の知的営為であるという見方が存在しています。

しかしながら、果たして私たちが抱える問題意識は、「論文」というフォーマットのみで解決・説明可能なものなのでしょうか。そうであるとは思えないというのは前半部で述べたとおりです。物事には、論文で扱いやすいテーマとそうでないものがあります。しかしながら一方で、そうでないテーマについて考えることは、同時に研究領域に資するものでもあるように思われます。

例えば私が扱った「コンサルタント」という「高級」な職業を批判的視座かつ内在的に分析し、現代社会の評論に繋げるという手続きは、類義の議論も含め殆ど行われて来ていないように思います。それはなぜなのでしょうか。おそらくその分析が、「論文」というフォーマットに沿って分析することが困難だからです。対象層へのアクセスは一般に困難ですし、ましてやそれをエスノグラフィの対象とすることに許可が降りることは――少なくとも批判的文脈においては――まずないでしょう(ANT的な組織論研究だと言えば通るかもしれませんが)。「高級」な職業が内在的に分析されてこなかったこと、逆に「低級」とみなされがちな職業が社会学者の分析の対象となってきたことは、おそらくそのアクセス可能性によって説明できてしまうのではないでしょうか。

しかしながらそうであるのならば「論文」というフォーマットに拘ることは、世界を説明しつくそうとする際には不適合となることもあるのではないか?そしてそれは「高級」な職業が抱え持つ「権力」と結果的に和合し、彼らの持つ資源を見えないものとしてしまうのではないか?なぜならば彼らはそのデータのアクセシビリティを操作することによって、自らを分析の対象としないようにすることが結果的に可能なのだから。そして現代社会においてこうした「高級」な職業が批判にさらされ、その問題が指摘され続けている状況にもかかわらず、そうした傾向を止め、分析の対象とすることが「論文」というフォーマットにとどまる限り困難なのであるのならば、「論文」のスタイルから離れることも時としては重要なのではないだろうか?

こうした問題意識を、私はずっと抱えてきました。つまり、問題は知的営為の分断と「業績主義」が、却って現代的な問題関心から目をそむけさせてしまうという点にあるわけです。だからこそ、私は今回「評論」的な文体で『アレ』に寄稿を行ったのであり、「論文」ではない形でこの問題系に迫ろうとしました。これが、本稿が当初述べた「意地悪な」問いに対する答えでもあります。

ではそれが実際に達成されており、問題の分析は妥当なものと言えるのか?それは実際の論考をご覧いただければと思います。個人的には、損はさせない原稿になったと思ってますので。

*1:真面目な話、『アレ』の編集体制は今まで寄稿した査読・商業誌の中で一番手厚く、かつ丁寧なものでした。こうなると、商業誌と同人誌の区分ってもはや質の区分ではないなと感じます。

クラウドファンディングをやってみた感想:戦略・成果・今後の展望

私はクラウドファンディングをやってました

academist-cf.com

8月末から怒涛の忙しさで全く浮上出来ていなかったのですが、ようやくブログに手を出せる余裕ができたので、クラウドファンディングの総括について書いてみたいと思います。

 

なぜクラウドファンディングをやったのか?

 クラウドファンディングを実施した理由については、過去に述べました。

 

babibubebobobo.hatenadiary.jp

とはいえ、もう一回読み直すのもダルいでしょうから、その理由の概略を述べると、以下のとおりです。 

  1. 文系院生のキャリアラダーの特異性を示すために調査する
  2. 具体的には、非常勤ポストの不均衡分配が、個々人のキャリア育成に歪みを生んでいることを示したい
  3. この問題は今までほとんど議論されてきていないので、政策にも盛り込まれていない。そのため調査結果は最終的に調査提言に活かすこととしたい
  4. 上記観点から広報も重要なので、Tシャツ配布も含めたグッズ配布にも力を入れる

以上の観点より、とりあえずミニマムファンディング額である20万を目標として、クラウドファンディングを始めました。

クラウドファンディングの戦略

さて、クラウドファンディングというのは一種のBtoCビジネスです。つまり、潜在的消費者に対し、リターンという自社の商品がいかに優れているかを売り込むことによって、それに応じたファンドを頂くというのが、基本的流れだからです。今回のケースで言うのならば、「文系院生のキャリアラダーの調査」というパッケージを人々に訴求しなくてはいけません。まあ平たく言えばマーケティングが求められるということです。

とはいえ、一般的なサービスや消費財と異なる点もあり、そこがクラウドファンディングという「商材」の面白いところだったりします。違う点は以下の2つ。

クラファンに挑戦すると決めたときに、私はとりあえずacademist全体に上がっているクラウドファンディングの性質と、その金額についてざっと見てみました。その結果クラウドファンディングでのお金の集め方には、2パターンがあるということがわかりました。つまり、かたやバズ*1によって少額の金額を大量の方から集めるという手法、もう一つは、多額の金額を少数の方から集めるという手法です。

そしてここで気づいたのは、クラウドファンディングの投資可否はどうも往々にして商材であるリターンではなく、個々人の魅力に起因しているのではないか、ということでした。というのも、研究クラファンは、基本的にリターンがショボいのにも関わらず(当然ですが)、高額の金を集めているクラファンが多く見られたからです。それらのクラファンでは、やはり主催者が継続的にネット上で魅力的な活動をされている傾向が強かったです。

つまり、クラウドファンディングの資金が集まるかどうかは、リターンの魅力もさることながら、それと統合した形で適合的かつ魅力的な個人であることを、アピールすることが重要となります。単にページを作って公開するだけでは駄目で、いかに自分が出資するに値する人物かを示さないと駄目だということですね。

実は本クラウドファンディングでは当初調査を予定しておらず、Tシャツの配布のみを行う予定でした。では、なぜTシャツの配布をBOOTHのような販売代行サービスで行うのではなく、クラウドファンディングという形で行いたかったのかというと、クラウドファンディングで匿名の他者に配布できるようになれば、それによって、この行為を悪ふざけではなく、正当性を持った異議申し立てとして運用できるのではないかと考えたためです。クラウドファンディングのページを立ち上げるということは、それ自体が一種の運動性を帯びているわけですね。

正味な話、クラウドファンディングは運営会社に手数料を取られますから、リターンも勘案すると集金手段として考えた場合はそれほど割はよくありません。むしろ、クラウドファンディングサイトという特定のプラットフォームを介して、自らの活動が正当性を持ったものであるということをアピールし、クラファン成功によってさらに、それを後押しするという使い方が有意義なのではないかと思います。例えば、打越正之さんの本の執筆代を集めるという名目でのクラウドファンディングは、おそらく本の営業活動として考えると極めて有意義であったことでしょう。単にカネを集めるだけではなく、二次的三次的な波及効果にこそ、クラファンの旨味があるように思います。

camp-fire.jp

 

以上の特性を踏まえ、私は以下の2つの方向性を打ち出して活動することにしました。

クラウドファンディングのリターンを個人的魅力を元に強く打ち出す

私は残念がら20代後半のモサい男なので、いわゆる「セクシー」さでクラファンの価値を訴求することが出来ません*2。同様に、私と話したいという人がどれほどいるのやらという所感を当初より持っていました。

一方、私はおそらく同世代の一般人よりは料理が得意な自負がありますし、いろいろな料理や飲料とのペアリングを勉強してきました。また、諸事情によりホップの特性やビアスタイルの追求については相当に詳しいと思われます。そのため、1万円のリターンを「文系院生バー」の参加権とし、Twitterにも関連するツイートを多く掲載して、参加を募ったわけです。

 ただ、これは正直言って失敗しましたね。というのも、研究クラスタと料理クラスタは離れすぎていて、なかなかRTに結びつかなかったからです。1万円リターンを希望する人は結果的にかなり多かったですが、多くが私とそれなりに深い付き合いをしている方で、実際に私の料理なりなんなりを食べている人でした。その意味では広がりに欠けた印象です*3

また、Tシャツリターンも3000円とし、おそらく一般的なクラファンに比してかなり安い価格でのリターンとしたのですが*4、これも思ったよりは伸びずというところで、思ったよりもグッズの魅力では人は集まらず、基本的に研究クラファンはインプレッション数☓テーマの間口の広さ☓クラファン主催者のネット上での(良い意味での)知名度の掛け算で支援額が決まるなと痛感した次第です。

 

クラウドファンディングを周知のツールとして活かす

 一方、料理以外にもちょっと「バズ」を意識していくつか研究に関連するツイートをするよう、クラファン期間中は意識していたのですが、伸びるツイートがあっても、なかなかクラウドファンディングのクリックには結びつかず、周知にはつながらないという感じでした。

このツイートは、「ロスジェネ」☓「日本労働」ということで、研究クラスタイッタラーの心に触れる要素が多かったせいか、そこそこRTされ、インプレッション数も多かったですが、これが伸びている間にクラファンの金額はほとんど伸びませんでした。やはり、少しウザイでしょうが、純粋なクラファン参加のお願いを、SNS上で繰り返すしか道はないようです。

なお、今回当初の目標金額を20万とアカデミスト側の要望する最小金額としたのは、Web調査を主とする以上、それほど多くの金額を必要としないというのもあるのですが、どちらかというと戦略的に、「目標額を(知り合いブーストで)爆速で達成し、その後非知り合いの方からの少額ファンディングを募る」ということを狙ったためです。とっとと当初の目標額を満たし、「このファンディングは有望だ」ということがわかったほうが、お金が集まりやすいのではないかと考えたのですね。まあ結果から言うとどうも逆の効果があったのではないかと思わんでもないのですが、いずれにせよ失敗していたら目も当てられませんので、結果としてはこれで良かったかと思います。

いずれにせよ、今回色気を出してツイッターで色々実験をしてみましたがあまり結果は芳しいものとは言えず、最終的にクラウドファンディングで資金を集めるためには小手先ではなく、「リアルでの付き合いがある知り合いの数」が物を言うな、というのが所感でした。もちろん、これは私が弱小ツイッタラーだからであり、アルファがやればそれ相応に伸びる気もしますが、そこまでやるのは難しいですよねえ。

とはいえ、今回の活動を通じて多くの方とお知り合いになることが出来ましたし、今までお付き合いのない方からも多数の支援を頂けたということも、ここで明確にしておきたいと思います。

クラウドファンディングの成果

 いずれにせよ私の小細工はともかくとして、今回のクラウドファンディングでは述べ人数43名の方より、合計303631円の支援をいただくことが出来ました。まず、支援いただいた皆様に強く感謝の念を申し上げます。

それを踏まえた上で、今回のクラウドファンディングを通じた反省点を述べます。

  • より幅のある値付けを心がけるべきであった

今回はファンディング額の上限を1万円としましたが、もう少し上のレンジを引き上げる、すなわち3万円-5万円クラスのリターンを作っても良かったなと思います。まあこれは一種の「知り合い搾取」にもつながるので、なんともいえんのですが…

  • 日頃から交流網を広げるべきであった

残念ながらクラウドファンディングの金額の多寡は、概ねSNSのインプレッション数に比例するように思います*5。今回はクラウドファンデイング開始と同時期に実名Twitterを始めたのですが、もう少し前から種を撒いておけば良かったなと思いました。逆に、クラウドファンデイングをやるのならば、TwitterなりなんなりのSNSを用いて、個人の人格をよりアピールすることは必須であるように思われます。

  • もう少し幅の広いターゲットに訴求しうるテーマ名にすべきであった

今回は「人文社会系」と銘打ってクラファンをやったわけですが、これは取っ払って「若手研究者のキャリアラダー」と銘打ったほうが良かったかもなあと、終わったあと感じました。というのも、結局人文社会系の特殊性を分析するにしても、参照項としての他分野のデータを集めることは必須だからです。そのほうが、より間口が広がって、訴求する対象は広がっただろうなと。ただこうすると、資金は集まったかもしれませんが分析の工数は上がるので、キャパシティを踏まえるとなんとも難しい選択ですが…

クラウドファンディングを踏まえた今後の展望

実は今回のクラウドファンディングを募っていた段階で、ある団体とのコネクションが出来、本調査を中央官庁の委託調査の一環として実施できることとなりました。そのため、現状不確定要素は大きいですが、本調査の知見については、単に公表されるだけではなく、将来的な科学技術政策に生かされる可能性が出てきました。文系院生のキャリアラダーの特殊性を官僚サイドが認識できるようになれば、より良い施策が打たれる可能性は飛躍的に上昇するでしょう。

私は、かつてコンサルタントとして類似業務で生計を立てていたこともあるのですが、心の底から実施すべきだという調査に巡り合うことや、調査結果を正しいと自分が考える方向で報告することは今まで殆どありませんでした*6。その意味で、この帰結は私にとって非常に感慨深いですし、今回のクラウドファンディングは、単なる文系院生のガス抜きにとどまらず、社会問題の解決に繋がりうる方向にこの活動を動かしたという意味において、非常に有意義であったと思います。もっとも、調査はこれからなのですが。

というわけで、クラウドファンディングは金を集めて終わりではなく、金を集めてからがスタートだというのが、私にとって本活動を実施して得ることが出来た、最も大きい知見でした。皆様、今後とも応援ご支援よろしくお願いいたします。

*1:といっても、概ね日頃の努力の賜物のように見受けられましたが

*2:それが良いことだとも思いませんが

*3:やっぱモサイ男の作った飯とか誰も興味ないんですかねえ

*4:これは当初本クラファンがTシャツ配布を目的としていたことによっています

*5:大体関連ツイート1万インプレッションで15万が集まるといった感じでした。

*6:何故なかったのかという話は、近日掲載予定の論文に詳しく記載しております。

人文社会系研究者の実態を理解してもらうためには何が必要なのだろうか?――クラウドファンディグを通じて考えたこと

人文社会系若手研究者のキャリアラダーに関する広報周知・実態調査を目的としたクラウドファンディングを実施しています。

https://aca134?lang=jademist-cf.com/projects/

受益者負担の原則?

 今日もまた、ろくでもないニュースが流れてきた。

www.mext.go.jp

Q67 大学院生は新制度の支援対象になりますか。

A67 大学院生は対象になりません。(大学院への進学は18歳人口の5.5%に留まっており、短期大学や2年制の専門学校を卒業した者では20歳以上で就労し、一定の稼得能力がある者がいることを踏まえれば、こうした者とのバランスを考える必要があること等の理由から、このような取扱いをしているものです。)

 さて、もちろんこのことは、直ちに大学院生の学費減免制度がなくなるということを意味するわけではない*1。大学無償化法案は、あくまでも新たに上乗せされる制度である以上、既存の学費減免制度を廃止するかどうかは、大学当局の判断になるからだ。少なくとも、多くの大学で直ちに大学院生への援助を打ち切るということはないだろう。少なくとも数年間は。

 では何が問題なのか。大学院生をここで新規制度から排除するに至るまでのロジックである。ここで文科省は、大学院生を対象にしない理由を、大学院生の年齢と、その割合に求めている。つまり、①大学院生となる年齢においては、労働能力が認められ、賃金を生み出すことが可能なものであると考えられること②大学院教育が社会成員において共通されているものではないため、大学院生を無償化対象とすることは、無償化の対象の不平等性を生むものであることが、ここでは主張されている。

 こうしたロジックそのもののガバガバさ(大学教育も50%程度の人間しか受益するものではなく、そもそも累進性が高い制度である、このロジックだと学部3年以降もなぜ無償化されるのか、etc…)を指摘することも可能だが、ここで私がより深刻だと考えていることは以下のことである。つまり本法律において、高等教育無償化が受益者の目線で捉えられており、高等教育の拡充による社会への影響が度外視されているということ、その結果、大学教育には労働者育成としての意味付けしか与えられておらず、その結果「研究」拡充には一切の意味が認められていないという点である*2

 その結果、私たち院生はこの制度から二重の意味で疎外されていることになる。つまり、私たちが受けている「教育」は、受益者負担の観点から援助が却下され(お前たちは、人々が受けていないレベルの教育を受けており、それは「ぜいたく」だから支援の対象とはならない)、私たちが行っている「研究」もまた、支援されるに値しないものとしてみなされていると捉えざるを得ないのである(お前たちの研究は、同年代の人々が行う労働と同等のものとみなすことは出来ない)。

人文社会系研究者は果たして何をやっている人々なのか?

  こうした決定に対し、当然のことながら私たち大学院生は、少なくともその不躾さに対し怒らねばならないと思う。しかしながら一方で、私はこうも思う。私たちが何をやっている集団であり、どのような意味で社会に「貢献」しうるのか、それを少なくとも私たちのスタンスからより説明せねばならないのではないかと。特により一般にその効用が説明しづらい人文社会科学系は。

 こうした考えを持つのは、日本における科学技術政策の歴史を踏まえてのことである。知ってのとおり、日本における科学技術政策の歴史は、一貫して理系偏重の歴史である。もちろんこのことは、いくつかのコンテクストを踏まえれば理解可能である。だが、予算の額はともかくとして、一般的な制度設計において人文社会科学系の意見はどの程度受け入れられてきただろうか。そもそも視野に入ってきたのだろうか。院生はそもそも阻害されてきたのであるが、その院生が注目される場合も、それは新たな科学技術を生み出す理系院生のみに焦点が当たりがちではなかったか。

 私たち人文社会系の大学院生は、理系に比してそもそも数が少なく、また相互が分断されているため、群島のようなコロニーをそれぞれの研究領野で形成している。そのためノウハウや知識も分断されており、結果として共通項としての人物像を結びにくい。私たちが何をやっている人なのか、という点は私たちにとっても説明しづらいし、ましてや外部からみて想像もし難い。その結果、私たちは二重の意味で制度から阻害される羽目になり、最適解は周りを蹴落としながらサークル内で「業績」を積む「ネオリベ」的態度となる。

 もちろん、今回の問題は文理問わない共通の問題であり、そこに壁を作るべきではない。ただし一方で、私たちがもちうるバックボーンが相当異なるということもまた、主張しておくべきであると考える。というのも、例えば今回の問題が問題として認識された時に、次に問題となるのはこの点だからである。

人文社会系研究者はいかにして育成されるのか?

 私は、個人的な意見として人文社会系の研究者の社会的立ち位置は、自然科学系のそれとは大きく異なるという立場に立っている。もちろん私たちは、「新たな知の追求」という目的を共有している。しかしながら、その追求のスタイルは大きく異るからである。更に言うならばその派生結果として、大学内でベタに求められる社会的役割も異なるのである。

 具体例をあげよう。多くの理系研究室では、ラボの中で研究が進められる。各人は原則として教授などから研究テーマをもらいながら、実験などを進め、研究を行う。博士課程の院生は場合によっては指導にも回ることとなる。つまり、研究はチームで行われ、研究と教育は一体化している。

 一方、文系ではそうではないことが多い。多くの分野では研究は個人で行うものであり、研究室はあくまでも類似の関心をもった院生をつなぐ緩やかなネットワークとして機能する。そして研究と教育は多くの場合分離したものとして捉えれ、「非常勤講師」などの「教育歴」が重要視される。というのも、理系では「ラボの運営」がそのまま教育になるため、「研究をすること」がダイレクトに「教育歴」につながるのに対し、文系はそうではないからである。私たちは個人で研究を進め、それを研究会やゼミで共有しつつ、それとは独立にちゃんと授業を運営できるという証となる「教育歴」を積まねばならない。そしてその「教育歴」を積めるかどうかは、クラウドファンディグで主張しているように多くは「僥倖」の中にある。私たちが絶望し、不安なのは「金を稼げない」からではなく、まさにこの「将来の見通せなさ」であるからに他ならない。

 院生支援というと、一般に研究支援だと思われる。私がやっているクラウドファンディングも、本来は研究費支援のためのプラットフォームである。それは理系の場合、概ね正しい。しかしながらそれでは決してすくい取れない領域、教育経験をめぐる不確実性というものが、人文社会系の中にはあり、そしてそれは今まで語られてこなかった。今回の問題はそれ以前の問題とはいえ、次に問題となるのは、そして実際に問題となっているのはこの部分なのである。

水掛け論を抜きにして、私たちは何をすべきなのか

 実際のところ、官僚が人文社会系の研究者が完全にいなくても良いと思っているわけはない。私の少ない経験の中でも、お題目としての人文社会系研究者振興を拒絶する人間はいなかった。ただ、彼らの視野の中にそれは入っていないし、入っていたとしても彼らの目にはまったくお門違いの物が見えている。それだけなように思える。

 事実人文社会科学に対し、文科省がまったく手を入れてこなかったわけではない。様々に委員会やワーキングが組まれ、あるべき人文社会科学像は語られてきた。だが、そこで語られる未来は、あくまでも「研究」の側面に限定されたもので、いかにして「教育」経験を積ませながら、研究者を養成していくのかという点はついぞ語られてこなかった。しかしそれは思うに、彼らが私たちを憎んでいるからではなく、私たちのことを知らないからなのだ。そして私たちもまた彼らのことを知らないし、私達自身のことすら知らないのではないか。

 こうした「教育」と「研究」をめぐる二重の問題が存在していること、そして誰もそれを取り上げてこなかったことが、今回私がクラウドファンディングを立ち上げた理由である。そしてこのクラウドファンディングの究極の目的は、こうした現状の人文社会科学振興をめぐるコミュニケーションの齟齬をなくし、今や明白にその姿を表しつつ有る大学と官僚間の徹底的な不信の構造を、将来的に少しでも拭い去ることである。なぜならば、この不信が極限まで高まったとき、最も被害を受けるのは、最も基盤が弱い私たち人文社会科学系の院生だろうからだ。それは私たちにとっても望ましくないし、おそらくこの社会にとっても望ましくはないだろう。だからこそ、若手研究者のキャリアラダーの実態調査を行う必要があり、かつそこにおける「研究」以外の要因の重要性を明らかにし、周知することが重要なのである。

 なんだよ、宣伝かよと思うかもしれないが、こうしたニュースが流れてくるたびに、思いを新たにするところがあるんです。ご協力ご支援の程よろしくお願いいたします。

https://aca134?lang=jademist-cf.com/projects/

 

 

*1:むしろ文科省としてみれば、こうした反応が来るのは意外なのかもしれない。というのも、本法律については、当初から大学院生は制度外であることが明記されているからだ。

*2:しかしこれも文科省的には当然かも知れない。というのも、本法律の対応セクションは高等教育局であり、表面上研究振興局は噛んでいないからである。いわゆるデマケというやつである。

『麺屋 ねむ瑠』の替え玉(まぜそば)を自宅で作る

飲食店砂漠 本郷三丁目・東大前

 東大に通っているととにかく困るのが食糧事情。食糧事情と言っても別にナチスドイツに包囲されたサンクト・ペテルブルグじゃあるまいに、それ相応の価格でメシにありつくことはできるのですが、いかんせん「お値打ち」な飲食店が殆ど無いんですよね。特に近年は『美味しい屋』という店を運営するチャイニーズ資本が、なぜか利権にまみれ誰も手出しができないと噂の本郷通りのテナントを次々とM&Aすることに成功し、オイスターソースと化調で濃い目に味付けられた日式中華が東大半径500メートル以内を席巻。さらにりょうくんグルメに広報してもらったと思しきタピオカ屋が観光客で大繁盛したのをきっかけとしてか、タピオカ屋が乱立戦争勃発。こうした波に煽られ、マック、リンガーハットといった名だたるチェーン店も次々と閉店し、馴染みの味ですら風前の灯。「ああ、日本は経済戦争に負けたのだな…」ということは、まさにこの東大近辺の飲食店と、われらが根城コモンズがもはや外国人観光客の見物コース、ゴリラの檻と化し、私たちがギブミーチョコレートと叫んでいることを見れば明らかなわけです*1

goo.gl

↑これが別名本郷三丁目村上ファンド、『美味しい屋』だ!

 

 こうした問題の一つを表象しているのが、美味いラーメン屋の無さ。もちろん、ラーメン屋がないとは言いませんよ。(私は好みじゃないですが)『山手』、『瀬佐見』、『家家家』といった古豪、最近できた蘭州ラーメン屋、少し足を伸ばしたところにある二郎インスパの雄『用心棒本号』…それなりに評価の高いラーメン屋は多いです。ですがね、近年のラーメンのトレンドたる濃厚煮干し系を押さえたラーメン屋が、この本郷三丁目近辺には絶無だったわけです。そう、『麺屋 ねむ瑠』ができるまでは…

 

『麺屋 ねむ瑠』賛歌

 『麺屋 ねむ瑠』が何が素晴らしいのか。エクスキューズをつけずに『ああ、美味いな…』と言えるラーメン屋がとうとう本郷に出来たということです。何食っても美味いですからね。イカ煮干しが効いている濃厚、丸鶏の滋味が広がる淡麗、どっちも無化調とは思えない旨さです。もう俺は化調とチーユでなんとかスープのスカスカをごまかした家系を食う必要はないんや…

tabelog.com

 そしてこの店のメニューで個人的に一番イケてると思うのは「替え玉」なんですよね。釈迦に説法ではありますが、写真を見ていただけるとおわかりのように、替え玉にさにあらず、もはや「油そば」と形容しても良いようなビジュアルなわけです。これを手元においてある山椒油をかけまくってズビビンズビンとすすれば、ピンで成立するメニューの出来上がり。一玉が少し少なめなのも相まって、行くたびに替え玉180円を頼む始末。もはや、私は替え玉を食べに通っていると言っても過言ではありません。

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限りなくまぜそばにちかい『替え玉』(https://tabelog.com/imgview/original?id=r4123270748839)より引用

 しかしこの替え玉、構成要素を見ると(替え玉なんだから当然ですが)すごい単純です。麺+タレ+チャーシュー+玉ねぎ+煮干し(+山椒油)のみで構成されており、それぞれの作り方も容易に想像できます(少なくともスープよりは)。「これなら作れるのでは?」と思って試してみたら、案の定それっぽいものは作れることがわかったので公開します。ここまでが長い前置き。

『麺屋 ねむ瑠』の替え玉(まぜそば)の作り方

用意するもの(2人前)

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用意するものすべて

中華麺(細ストレートが最適・今回はハナマサPBのつけ麺用太麺)

  • 2人前(300g)

A(タレ1群)

B(タレ2群)

  • ラード(サラダ油で可)…20g
  • 山椒…適量

  • 豚肉スライス…120g
  • 煮干し粉…適量
  • 玉ねぎ…中1/8

作り方 

  1. 玉ねぎをみじん切りにし、水に晒す。30分後にザルにあけ、水気を切る
  2. 豚肉スライスを沸騰したお湯の中に入れさっと湯がき、ザルにあける
  3. A(タレ1群)を鍋に入れ、アルコールが飛ぶまで煮切る
  4. 茹でた豚肉スライスと、A(タレ1群)をジップロックの中に入れ、チャーシューを作る。空気を抜いて密閉し、1時間以上放置(この状態のものが写真に載っています)。
  5. 中華麺を沸騰した湯の中に入れ、茹でる

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    当然お湯が多いほうが良いのですが、限界文系院生はガス代もケチらねばなりません。くっつかないようによくかき回しましょう
  6. 茹でている間に、チャーシューを漬けているA(タレ1群)、B(タレ2群)をボウルに入れ、レンジ(600w)で40秒加熱する

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    山椒はこんなもんです(も少し入れても良い)。なお今回の写真は1人前で撮ってます
  7. 麺が茹で上がったら、ザルにあけ、水気を切った後、レンジから出した5の中に麺を入れ、よく混ぜる

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    どうでもいいですが、このイケアのパンチホールザルは良いです。おすすめ。
  8. 麺を丼に移し、チャーシュー・煮干し粉・刻みタマネギをトッピングして完成。好みで胡椒をかける

    f:id:antisatellite:20190716123903j:plain

    完成。チャーシューが手抜きのため見栄えは悪いですが、味に問題はありません。

tips

  • 環境にもよりますが刻み玉ねぎは冷蔵庫で3~4日、チャーシュー+タレは1週間程度持ちます。
  • 今回は簡易版のため、チャーシューと山椒油をそれぞれタレと同時作成とし手を抜いてますが、本式に作る場合はそれぞれ別に作業が必要です。前者については豚肩ロースブロック500gを購入し、61度6時間で低温調理した後、醤油ダレに漬け込んでください。漬け込んだものをサイコロ状に切れば良いです。後者については温度を120度に上げた植物油100gを、粉山椒20gを水適量で練ったものに、少しずつかけることで抽出してください。それぞれ以下のサイトが参考になります。

    nick-theory.com

    www.youtube.com

  • 化調を使うのは無化調をうたう『麺屋 ねむ瑠』の再現としては不適切なのですが、やはり入れたほうが味が決まりやすいです。入れない場合は、麺つゆを微量入れるなどして調整してください。
  • 麺は手持ちにあるのを使ってください。今回はハナマサのつけ麺用の麺で試してみましたが、これでも美味いです。余談ですがこのハナマサ麺は自宅で二郎インスパを作る際も最適だと思います。
  • ライティングもろくにせずスマホで撮ってるので見た目が良くない丸。次回の反省点。

 

 

*1:生協食堂は論外

「消費者」の概念史に向けて――近代日本における「消費」概念の定着過程とその背景

お詫び

 本記事については、当初7/12に公開しておりましたが、「消費」という言葉の採録時期について、重大な事実誤認がありました。7/13日の記事については修正したものとなります。ご指摘いただいた西練馬(@nishinerima)様、誠にありがとうございます。心より御礼申し上げます。

「消費者」概念はいかにして日本社会の中で受容されたのか

 私は、「消費者」という言葉が社会において広く用いられるようになり、人々の実践を拘束していくようになる過程を研究しています。そのため、当然のことながら「消費者」という言葉、あるいはそれの前提条件となる「消費」という言葉の受容史についても検討をしなければなりません。以下は、戦前期を対象として、それを概略的にまとめたものです。

 さて、現代社会では「消費」や「消費者」といった言葉が広く使われていることは、論をまたないかと思います。なんといったって「消費者庁」なんていう省庁があるぐらいですし、今世間を賑わせている問題は「消費税」にかかわるものです。最近は聞かなくなりましたが、一時期「消費者は神様である」という言説への批判的言説が、ネットを賑わせたこともありました。いずれにせよ、「消費」や「消費者」といった言葉が特定のまとまりをもって広く運用されていることは明らかです。

 では、ここで考えられる「まとまり」とは何でしょうか。おそらく、以下のことを指摘できるかと思います。

  • 「消費」は「生産」と対置される概念であり、「生産」されたモノ・サービスを「費やし、消し去る」行為をしめすものである。
  • 「消費者」はこうした「消費」を行っているアクターを示すものである。
  • この考え方のバックボーンには、経済学や経営学に関する諸言説があり、その行為や対象の存在は記述の中で所与のものとされる。そのため「消費」や「消費者」概念は、中立的な記述概念として用いられることが多い。
  • (今回の記述の範疇からは外れますが)一方で、しばしば「消費者」概念は規範的に用いられることも有るが、それはおおむね「消費者」を庇護し、奉仕する対象として捉えるものである。

 しかしながら、こうしたまとまりは、「消費」や「消費者」概念が日本において生を受けた時から存在していたものなのでしょうか。どうもそうではなさそうだ、というのが本稿の結論であり、その論拠とそこから導き出される結論を以下では述べます。

「消費」概念の受容史

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西周(1872=1981)『百学連環』宗高書房

 さて、日本において「消費」概念はいかにして受容されたのでしょうか。先行研究によれば、本概念は西周の「百学連環」において「Consumption」の訳語として示されたこと(除 2009)、一方で「消費」という言葉の連なりそのものは、近世の東アジアの書物にも見られるものであり、造語としては西の発明ではないということが示されています(手島 2002)。言い換えるのならば、「消費」という言葉は近代以前より存在はしていたが、現代のような意味で用いられるようになったのは明治期以降であり、そのルーツは西周に帰することが可能であろうということです。この見取り図そのものは、今から見てもそれほど不自然なものではありません。

 しかしながら、当時の「消費」、あるいは「消費者」概念は、今とは少し違う形で用いられていました。『日本国語辞典』に採録されている用例だけを見ても、例えば以下のような用法を明治期に見ることが出来ます。

 

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利光 鶴松(1890)『政党評判記』文昌堂

 ここで利光小田急電鉄の創業者で、この時期は立憲民主党の議員)は、「もちろん学者代言人新聞記者…の如きは経済上のいわゆる消費者たるには相違なれも然れども経済上の分業者なり彼の高言放論をもって得たりとなす無職の政党員は何をもって分業上の責任を全うせんとするや身ただに富を消費するの毒虫にてありなから…」と論じています。ここで注目すべきは、「消費」や「消費者」が明確にネガティブな意味で用いられているということです。「消費」は浪費、「消費者」は無駄飯ぐらいに近いような意味で用いられています。この用法は、現代では余り見ることは出来ません。

 しかしながら、当然といえば当然なのです。というのも、もともと「消費」という言葉は、近世以前においては殆ど使われていなかったのですが、用いられる場合それは、類似語彙である「冗費」とほぼ同様の意味で用いられていたからです。例えば、大漢和辞典採録されている、中国の『潜夫論』における『消費』の用法を見ると、ここでも「使い果たす」という点に焦点があたっています。

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諸橋轍次(1967)『大漢和辞典』大修館書店

 つまり、もともと日本ないしは東アジア圏では、ミクロ経済学的想像力(生産者と消費者が対として存在するという世界観)が近代に至るまで成立していなかった一方で、限定された生産財を有効活用していない状況や人々を問題視する素朴な、重商主義的想像力は形成されており、その時に「消費」やそれに類する語彙が用いられていたのです*1。よって、日本における「消費」概念は、「使い果たす」ということがらを指すマイナーな語彙であったところに、西周らの手によって後付的に「Consumption」の訳語としての意味が付与され、相対的に後者の役割が大きくなっていったということが、ここからわかります。

 事実、ヘボンが編纂した日本初の和英辞典、「和英語林集成*2では、「消費」という日本語に(tsuiyasu)というローマ字があてられ、それと対置される英語は、’Spend’が’Consume’よりも先に来ています。これは今の一般的な英和辞書では見られない記述であり、その意味において、当時の「消費」概念の特殊性を示すものであります。

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ジェームス・カーティス・ヘボン(1886)『和英語林集成第三版』丸善商社書店


国語辞典から見る「消費」概念の変容

 こうした「消費」概念の用法をめぐって、ネガティブな「冗費」や「浪費」と類似の用法が優越していたことは、国語辞書への採録状況を見ても明らかです。まずは日本で最初の近代的国語辞書である『言海』を見てみましょう。既にこの時点で「消費」は採録されておりましたが、ここでの記述は以下の通り、「ツイヤス、ツカイツクス」というものにとどまっています。『言海』では「生産」についても「ナリワイ、クラシ」という今ではあまりお目にかかれない説明を記載しており、そこに現在見られるような「生産」ー「消費」の対立軸を明確に見出すことは出来ません。つまり、明治中期までの言説空間においては、現在私たちが「消費」という言葉を用いる際のフレームワークは浸透しておらず、西が用いたような翻訳語としての役割はまだ後景に位置していたということがわかります。

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大槻文彦(1886)『言海

 では、現在のような用法、すなわち先述した『大漢和辞典』のような用法が記載され始めるのは、いつごろからなのでしょうか。私が確認した限りによると、それは1907年の『辞林』のようです。『辞林』は巻頭言において「明治の昭代、文物燦然として学術の興隆実に前代魅音なるに際し、語学界の事業の独り之に伴わざる極みあり。辞書の如きも、未だ多く徳川時代の著作の規範を脱せず、中古以住の語にのみ詳にして現代の活きたる言語に粗なり…」と書き、経済学だけでなく、様々な学問の専門用語を追記していますが、「消費」や「生産」も時を同じくして、大幅な追記を受けることとなります。

 

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金沢庄三郎(1907)『辞林』三省堂

 

 では、こうした辞書内部における「消費」概念の変化は、一体何を表しているのでしょうか?

 第一に、こうした変化は経済学的知識の一般化に伴い、「消費」概念の用法が拡大・変化していったことを表しています。上記辞林の記載を見ると、①、②の用法は、旧来より見られるものですがその記載はわずかであり、③の経済学的語彙としての用法にその記載の大半が割かれています。その書きぶりは明確に『百学連環』を意識したものであり、我々にとっても馴染み深い「生産」と「消費」を対比させ、「相互に因果の関係をなす経済的現象」という、ネガティブな意味を持たない中立的語彙としての性質を記載するものとなっています。こうした記述は『辞林』だけでなく、その後の辞書に引き継がれていきますが、ここでは「消費」概念が専門的知識を示す語彙として定着し、かつその用法が市井でも用いられていくようになったことを示しています。

 第二に、この採録は「消費」概念が社会情勢の変化によって実践的語彙として用いられるようになったことも表しています。『辞林』にて、「消費」という言葉は単独で採録されているわけではありません。「消費組合」、「消費税」、「消費貸借」といった一連のサブカテゴリーも含めた形で採録されています。これらサブカテゴリーに類する言葉は、いずれも学問上だけでなく、社会的に重要な議論の対象となっていた活動やシステムを表す語彙であり、その意味において「消費」という言葉の採録は、本概念を踏まえた様々な言説・活動が拡大していっていたということを、外在的に示すものであります。

 特にここで注目したいのは、これらの辞書において「消費組合」ーー今では馴染みのない単語ですが、現在の生活協同組合とほぼ同義の言葉ですーーが採録されているということです。詳しくは林(2019)で論じているのですが、日本で1900年台後半より勃興し、ソ連成立後の1920年代以降に力を増した消費組合運動の特徴は、「消費者」という概念を「労働者」を包括するカテゴリーとして捉え、そこから新たな社会ビジョンの創出を行ったという点にあります。彼らは「消費者」を新たな社会の担い手として記述し、「消費」が「生産」に隷属する事象ではなく、社会組成において非常に重要であることを、経済学的知識をもとに主張していったのです。*3

 そして『辞林』が発行された1907年という時期は、こうした消費組合運動の創成期に当たり、未熟ながらも全国各地で消費組合が立ち上がり、下のように高等機関--そもそもこうした活動を調査する高等学術機関が出現するということが、この言葉の定着過程において重要であったことが指摘できるでしょうが--の調査対象となるにまでになった時期でした。言い換えるのならば、「消費」という言葉が、社会の様々な箇所で用いられるようになったのがこの時期なのであり、こうした辞書の採録プロセスからは、そうした概念の拡張過程を、改めて見て取ることができるわけです。

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京商業高等学校(1912)『消費組合ノ調査』

 

まとめに代えて

 さて、本稿では「消費」概念の受容・変容過程を、主に戦前期における辞書を中心に分析してきました。そこで明らかになったのは、以下のことです。まず私たちは、「消費」という言葉が現代ではおおむねミクロ経済学的想像力範疇の中で運用されていること、規範的に用いられる場合でもそれはプラスの意味で用いられているということを確認しました。ところが明治期の言説空間では、そこから外れた運用がしばしば見られます。これはそれまで漢字文化圏において蓄積されていた経済学的論考において、ミクロ経済学的想像力が十分に開花しておらず、それゆえ「生産」と「消費」を対概念として捉えるという見方が弱かった一方で、財を浪費するという行為を否定的なニュアンスで記述する時に、「消費」ないしはそれに類する概念が用いられていたからです。明治中期までの「消費」概念は、このネガティブな意味が卓越する傾向にあり、既往研究が指摘するように西の手によって「消費」には西欧経済学における「Consumption」の訳語という意味が与えられたにもかかわらず、あまり使われることのない概念でした。

 こうした中、経済学的知識の拡大とともに、本概念は一般的なものとなり、1900年代後半以降、国語辞書においても経済学的意味の範疇の中で記載されるようになります。そこでは採録時期や同時に採録されているサブカテゴリーから、本概念が経済をめぐる諸実践の中で定着し、徐々にネガティブな意味を消し去りながら、中立的ないしはポジティブな意味へと変容していった過程を観察することができます。言い換えるのならば、現代にも通づる「消費」概念の用法は、おおむねこの時期に定着したものであり、その背景には高等学校の整備などに伴う経済学的知識の定着と、それをもととした消費組合運動に代表される諸実践があったと考えることができるわけです。

 では、こうした歴史的流れの中で、どのようなアクターの実践が大きな影響を与えていたのでしょうか。そしてこの流れはどのような形で戦後社会に接続し、今現在の私たちの生活に影響を与えているのでしょうか。今回は辞書という分析対象から、「消費」という言葉が採録されていくプロセスを論じることでこの問に外在的な参照点を与えたわけですが、こうした手がかりを元に今後具体的なテクストを通じて、より詳細を検討していかねばならないと言えましょう*4

参考文献(文中に記載の文献は除く)

林凌,2019,「人々が「消費者」を名乗るとき――近代日本における消費組合運動の所在」『年報社会学論集』in Press.

三浦梅園, 1773=1915,『価原』日本経済叢書刊行会.

徐水生, 2009,「翻訳の造語:厳復と西周の比較――哲学用語を中心に」『北東アジア研究』17: 19-28.

手島邦夫, 2002,「西周の訳語の研究」東北大学文学研究科博士論文(甲第8200号)

 

 

*1:河上肇がかつて日本における経済学的思考の端緒として参照した三浦梅園の『価源』においても、以下のような用法が見られます。「天下ノ物財ヲ費ヤスモノヲ遊民ト謂ッテ国家ノ蠧〔木食い虫〕トスル」[三浦 1773=1915:421]

*2:「消費」が採録されたのは、第3版

*3:彼らの実践はその後統制経済へ突き進む社会経済的情勢の中で相対的に大きな力を持つようになり、戦争協力へと突き進んでいくのですが、いずれにせよこうしたプロセスの中で「消費」や「消費者」という言葉は純粋理論的な、ミクロ経済学的想像力の範疇からはみ出る形で、冒頭にて示したような実践論的かつ規範的な語彙へと進化していきます。つまり、彼らは「消費者」が社会において主要な担い手であるが故に、彼らを悪辣な生産者から庇護し、生産者は彼らに奉仕するよう企業の方向性を変えるべきだと主張したのです。

*4:当然既にある程度の見取り図はついているのですが、それを書くと収集がつかなくなるので、このあたりで終わらせておきます