『麺屋 ねむ瑠』の替え玉(まぜそば)を自宅で作る

飲食店砂漠 本郷三丁目・東大前

 東大に通っているととにかく困るのが食糧事情。食糧事情と言っても別にナチスドイツに包囲されたサンクト・ペテルブルグじゃあるまいに、それ相応の価格でメシにありつくことはできるのですが、いかんせん「お値打ち」な飲食店が殆ど無いんですよね。特に近年は『美味しい屋』という店を運営するチャイニーズ資本が、なぜか利権にまみれ誰も手出しができないと噂の本郷通りのテナントを次々とM&Aすることに成功し、オイスターソースと化調で濃い目に味付けられた日式中華が東大半径500メートル以内を席巻。さらにりょうくんグルメに広報してもらったと思しきタピオカ屋が観光客で大繁盛したのをきっかけとしてか、タピオカ屋が乱立戦争勃発。こうした波に煽られ、マック、リンガーハットといった名だたるチェーン店も次々と閉店し、馴染みの味ですら風前の灯。「ああ、日本は経済戦争に負けたのだな…」ということは、まさにこの東大近辺の飲食店と、われらが根城コモンズがもはや外国人観光客の見物コース、ゴリラの檻と化し、私たちがギブミーチョコレートと叫んでいることを見れば明らかなわけです*1

goo.gl

↑これが別名本郷三丁目村上ファンド、『美味しい屋』だ!

 

 こうした問題の一つを表象しているのが、美味いラーメン屋の無さ。もちろん、ラーメン屋がないとは言いませんよ。(私は好みじゃないですが)『山手』、『瀬佐見』、『家家家』といった古豪、最近できた蘭州ラーメン屋、少し足を伸ばしたところにある二郎インスパの雄『用心棒本号』…それなりに評価の高いラーメン屋は多いです。ですがね、近年のラーメンのトレンドたる濃厚煮干し系を押さえたラーメン屋が、この本郷三丁目近辺には絶無だったわけです。そう、『麺屋 ねむ瑠』ができるまでは…

 

『麺屋 ねむ瑠』賛歌

 『麺屋 ねむ瑠』が何が素晴らしいのか。エクスキューズをつけずに『ああ、美味いな…』と言えるラーメン屋がとうとう本郷に出来たということです。何食っても美味いですからね。イカ煮干しが効いている濃厚、丸鶏の滋味が広がる淡麗、どっちも無化調とは思えない旨さです。もう俺は化調とチーユでなんとかスープのスカスカをごまかした家系を食う必要はないんや…

tabelog.com

 そしてこの店のメニューで個人的に一番イケてると思うのは「替え玉」なんですよね。釈迦に説法ではありますが、写真を見ていただけるとおわかりのように、替え玉にさにあらず、もはや「油そば」と形容しても良いようなビジュアルなわけです。これを手元においてある山椒油をかけまくってズビビンズビンとすすれば、ピンで成立するメニューの出来上がり。一玉が少し少なめなのも相まって、行くたびに替え玉180円を頼む始末。もはや、私は替え玉を食べに通っていると言っても過言ではありません。

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限りなくまぜそばにちかい『替え玉』(https://tabelog.com/imgview/original?id=r4123270748839)より引用

 しかしこの替え玉、構成要素を見ると(替え玉なんだから当然ですが)すごい単純です。麺+タレ+チャーシュー+玉ねぎ+煮干し(+山椒油)のみで構成されており、それぞれの作り方も容易に想像できます(少なくともスープよりは)。「これなら作れるのでは?」と思って試してみたら、案の定それっぽいものは作れることがわかったので公開します。ここまでが長い前置き。

『麺屋 ねむ瑠』の替え玉(まぜそば)の作り方

用意するもの(2人前)

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用意するものすべて

中華麺(細ストレートが最適・今回はハナマサPBのつけ麺用太麺)

  • 2人前(300g)

A(タレ1群)

B(タレ2群)

  • ラード(サラダ油で可)…20g
  • 山椒…適量

  • 豚肉スライス…120g
  • 煮干し粉…適量
  • 玉ねぎ…中1/8

作り方 

  1. 玉ねぎをみじん切りにし、水に晒す。30分後にザルにあけ、水気を切る
  2. 豚肉スライスを沸騰したお湯の中に入れさっと湯がき、ザルにあける
  3. A(タレ1群)を鍋に入れ、アルコールが飛ぶまで煮切る
  4. 茹でた豚肉スライスと、A(タレ1群)をジップロックの中に入れ、チャーシューを作る。空気を抜いて密閉し、1時間以上放置(この状態のものが写真に載っています)。
  5. 中華麺を沸騰した湯の中に入れ、茹でる

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    当然お湯が多いほうが良いのですが、限界文系院生はガス代もケチらねばなりません。くっつかないようによくかき回しましょう
  6. 茹でている間に、チャーシューを漬けているA(タレ1群)、B(タレ2群)をボウルに入れ、レンジ(600w)で40秒加熱する

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    山椒はこんなもんです(も少し入れても良い)。なお今回の写真は1人前で撮ってます
  7. 麺が茹で上がったら、ザルにあけ、水気を切った後、レンジから出した5の中に麺を入れ、よく混ぜる

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    どうでもいいですが、このイケアのパンチホールザルは良いです。おすすめ。
  8. 麺を丼に移し、チャーシュー・煮干し粉・刻みタマネギをトッピングして完成。好みで胡椒をかける

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    完成。チャーシューが手抜きのため見栄えは悪いですが、味に問題はありません。

tips

  • 環境にもよりますが刻み玉ねぎは冷蔵庫で3~4日、チャーシュー+タレは1週間程度持ちます。
  • 今回は簡易版のため、チャーシューと山椒油をそれぞれタレと同時作成とし手を抜いてますが、本式に作る場合はそれぞれ別に作業が必要です。前者については豚肩ロースブロック500gを購入し、61度6時間で低温調理した後、醤油ダレに漬け込んでください。漬け込んだものをサイコロ状に切れば良いです。後者については温度を120度に上げた植物油100gを、粉山椒20gを水適量で練ったものに、少しずつかけることで抽出してください。それぞれ以下のサイトが参考になります。

    nick-theory.com

    www.youtube.com

  • 化調を使うのは無化調をうたう『麺屋 ねむ瑠』の再現としては不適切なのですが、やはり入れたほうが味が決まりやすいです。入れない場合は、麺つゆを微量入れるなどして調整してください。
  • 麺は手持ちにあるのを使ってください。今回はハナマサのつけ麺用の麺で試してみましたが、これでも美味いです。余談ですがこのハナマサ麺は自宅で二郎インスパを作る際も最適だと思います。
  • ライティングもろくにせずスマホで撮ってるので見た目が良くない丸。次回の反省点。

 

 

*1:生協食堂は論外

「消費者」の概念史に向けて――近代日本における「消費」概念の定着過程とその背景

お詫び

 本記事については、当初7/12に公開しておりましたが、「消費」という言葉の採録時期について、重大な事実誤認がありました。7/13日の記事については修正したものとなります。ご指摘いただいた西練馬(@nishinerima)様、誠にありがとうございます。心より御礼申し上げます。

「消費者」概念はいかにして日本社会の中で受容されたのか

 私は、「消費者」という言葉が社会において広く用いられるようになり、人々の実践を拘束していくようになる過程を研究しています。そのため、当然のことながら「消費者」という言葉、あるいはそれの前提条件となる「消費」という言葉の受容史についても検討をしなければなりません。以下は、戦前期を対象として、それを概略的にまとめたものです。

 さて、現代社会では「消費」や「消費者」といった言葉が広く使われていることは、論をまたないかと思います。なんといったって「消費者庁」なんていう省庁があるぐらいですし、今世間を賑わせている問題は「消費税」にかかわるものです。最近は聞かなくなりましたが、一時期「消費者は神様である」という言説への批判的言説が、ネットを賑わせたこともありました。いずれにせよ、「消費」や「消費者」といった言葉が特定のまとまりをもって広く運用されていることは明らかです。

 では、ここで考えられる「まとまり」とは何でしょうか。おそらく、以下のことを指摘できるかと思います。

  • 「消費」は「生産」と対置される概念であり、「生産」されたモノ・サービスを「費やし、消し去る」行為をしめすものである。
  • 「消費者」はこうした「消費」を行っているアクターを示すものである。
  • この考え方のバックボーンには、経済学や経営学に関する諸言説があり、その行為や対象の存在は記述の中で所与のものとされる。そのため「消費」や「消費者」概念は、中立的な記述概念として用いられることが多い。
  • (今回の記述の範疇からは外れますが)一方で、しばしば「消費者」概念は規範的に用いられることも有るが、それはおおむね「消費者」を庇護し、奉仕する対象として捉えるものである。

 しかしながら、こうしたまとまりは、「消費」や「消費者」概念が日本において生を受けた時から存在していたものなのでしょうか。どうもそうではなさそうだ、というのが本稿の結論であり、その論拠とそこから導き出される結論を以下では述べます。

「消費」概念の受容史

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西周(1872=1981)『百学連環』宗高書房

 さて、日本において「消費」概念はいかにして受容されたのでしょうか。先行研究によれば、本概念は西周の「百学連環」において「Consumption」の訳語として示されたこと(除 2009)、一方で「消費」という言葉の連なりそのものは、近世の東アジアの書物にも見られるものであり、造語としては西の発明ではないということが示されています(手島 2002)。言い換えるのならば、「消費」という言葉は近代以前より存在はしていたが、現代のような意味で用いられるようになったのは明治期以降であり、そのルーツは西周に帰することが可能であろうということです。この見取り図そのものは、今から見てもそれほど不自然なものではありません。

 しかしながら、当時の「消費」、あるいは「消費者」概念は、今とは少し違う形で用いられていました。『日本国語辞典』に採録されている用例だけを見ても、例えば以下のような用法を明治期に見ることが出来ます。

 

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利光 鶴松(1890)『政党評判記』文昌堂

 ここで利光小田急電鉄の創業者で、この時期は立憲民主党の議員)は、「もちろん学者代言人新聞記者…の如きは経済上のいわゆる消費者たるには相違なれも然れども経済上の分業者なり彼の高言放論をもって得たりとなす無職の政党員は何をもって分業上の責任を全うせんとするや身ただに富を消費するの毒虫にてありなから…」と論じています。ここで注目すべきは、「消費」や「消費者」が明確にネガティブな意味で用いられているということです。「消費」は浪費、「消費者」は無駄飯ぐらいに近いような意味で用いられています。この用法は、現代では余り見ることは出来ません。

 しかしながら、当然といえば当然なのです。というのも、もともと「消費」という言葉は、近世以前においては殆ど使われていなかったのですが、用いられる場合それは、類似語彙である「冗費」とほぼ同様の意味で用いられていたからです。例えば、大漢和辞典採録されている、中国の『潜夫論』における『消費』の用法を見ると、ここでも「使い果たす」という点に焦点があたっています。

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諸橋轍次(1967)『大漢和辞典』大修館書店

 つまり、もともと日本ないしは東アジア圏では、ミクロ経済学的想像力(生産者と消費者が対として存在するという世界観)が近代に至るまで成立していなかった一方で、限定された生産財を有効活用していない状況や人々を問題視する素朴な、重商主義的想像力は形成されており、その時に「消費」やそれに類する語彙が用いられていたのです*1。よって、日本における「消費」概念は、「使い果たす」ということがらを指すマイナーな語彙であったところに、西周らの手によって後付的に「Consumption」の訳語としての意味が付与され、相対的に後者の役割が大きくなっていったということが、ここからわかります。

 事実、ヘボンが編纂した日本初の和英辞典、「和英語林集成*2では、「消費」という日本語に(tsuiyasu)というローマ字があてられ、それと対置される英語は、’Spend’が’Consume’よりも先に来ています。これは今の一般的な英和辞書では見られない記述であり、その意味において、当時の「消費」概念の特殊性を示すものであります。

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ジェームス・カーティス・ヘボン(1886)『和英語林集成第三版』丸善商社書店


国語辞典から見る「消費」概念の変容

 こうした「消費」概念の用法をめぐって、ネガティブな「冗費」や「浪費」と類似の用法が優越していたことは、国語辞書への採録状況を見ても明らかです。まずは日本で最初の近代的国語辞書である『言海』を見てみましょう。既にこの時点で「消費」は採録されておりましたが、ここでの記述は以下の通り、「ツイヤス、ツカイツクス」というものにとどまっています。『言海』では「生産」についても「ナリワイ、クラシ」という今ではあまりお目にかかれない説明を記載しており、そこに現在見られるような「生産」ー「消費」の対立軸を明確に見出すことは出来ません。つまり、明治中期までの言説空間においては、現在私たちが「消費」という言葉を用いる際のフレームワークは浸透しておらず、西が用いたような翻訳語としての役割はまだ後景に位置していたということがわかります。

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大槻文彦(1886)『言海

 では、現在のような用法、すなわち先述した『大漢和辞典』のような用法が記載され始めるのは、いつごろからなのでしょうか。私が確認した限りによると、それは1907年の『辞林』のようです。『辞林』は巻頭言において「明治の昭代、文物燦然として学術の興隆実に前代魅音なるに際し、語学界の事業の独り之に伴わざる極みあり。辞書の如きも、未だ多く徳川時代の著作の規範を脱せず、中古以住の語にのみ詳にして現代の活きたる言語に粗なり…」と書き、経済学だけでなく、様々な学問の専門用語を追記していますが、「消費」や「生産」も時を同じくして、大幅な追記を受けることとなります。

 

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金沢庄三郎(1907)『辞林』三省堂

 

 では、こうした辞書内部における「消費」概念の変化は、一体何を表しているのでしょうか?

 第一に、こうした変化は経済学的知識の一般化に伴い、「消費」概念の用法が拡大・変化していったことを表しています。上記辞林の記載を見ると、①、②の用法は、旧来より見られるものですがその記載はわずかであり、③の経済学的語彙としての用法にその記載の大半が割かれています。その書きぶりは明確に『百学連環』を意識したものであり、我々にとっても馴染み深い「生産」と「消費」を対比させ、「相互に因果の関係をなす経済的現象」という、ネガティブな意味を持たない中立的語彙としての性質を記載するものとなっています。こうした記述は『辞林』だけでなく、その後の辞書に引き継がれていきますが、ここでは「消費」概念が専門的知識を示す語彙として定着し、かつその用法が市井でも用いられていくようになったことを示しています。

 第二に、この採録は「消費」概念が社会情勢の変化によって実践的語彙として用いられるようになったことも表しています。『辞林』にて、「消費」という言葉は単独で採録されているわけではありません。「消費組合」、「消費税」、「消費貸借」といった一連のサブカテゴリーも含めた形で採録されています。これらサブカテゴリーに類する言葉は、いずれも学問上だけでなく、社会的に重要な議論の対象となっていた活動やシステムを表す語彙であり、その意味において「消費」という言葉の採録は、本概念を踏まえた様々な言説・活動が拡大していっていたということを、外在的に示すものであります。

 特にここで注目したいのは、これらの辞書において「消費組合」ーー今では馴染みのない単語ですが、現在の生活協同組合とほぼ同義の言葉ですーーが採録されているということです。詳しくは林(2019)で論じているのですが、日本で1900年台後半より勃興し、ソ連成立後の1920年代以降に力を増した消費組合運動の特徴は、「消費者」という概念を「労働者」を包括するカテゴリーとして捉え、そこから新たな社会ビジョンの創出を行ったという点にあります。彼らは「消費者」を新たな社会の担い手として記述し、「消費」が「生産」に隷属する事象ではなく、社会組成において非常に重要であることを、経済学的知識をもとに主張していったのです。*3

 そして『辞林』が発行された1907年という時期は、こうした消費組合運動の創成期に当たり、未熟ながらも全国各地で消費組合が立ち上がり、下のように高等機関--そもそもこうした活動を調査する高等学術機関が出現するということが、この言葉の定着過程において重要であったことが指摘できるでしょうが--の調査対象となるにまでになった時期でした。言い換えるのならば、「消費」という言葉が、社会の様々な箇所で用いられるようになったのがこの時期なのであり、こうした辞書の採録プロセスからは、そうした概念の拡張過程を、改めて見て取ることができるわけです。

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京商業高等学校(1912)『消費組合ノ調査』

 

まとめに代えて

 さて、本稿では「消費」概念の受容・変容過程を、主に戦前期における辞書を中心に分析してきました。そこで明らかになったのは、以下のことです。まず私たちは、「消費」という言葉が現代ではおおむねミクロ経済学的想像力範疇の中で運用されていること、規範的に用いられる場合でもそれはプラスの意味で用いられているということを確認しました。ところが明治期の言説空間では、そこから外れた運用がしばしば見られます。これはそれまで漢字文化圏において蓄積されていた経済学的論考において、ミクロ経済学的想像力が十分に開花しておらず、それゆえ「生産」と「消費」を対概念として捉えるという見方が弱かった一方で、財を浪費するという行為を否定的なニュアンスで記述する時に、「消費」ないしはそれに類する概念が用いられていたからです。明治中期までの「消費」概念は、このネガティブな意味が卓越する傾向にあり、既往研究が指摘するように西の手によって「消費」には西欧経済学における「Consumption」の訳語という意味が与えられたにもかかわらず、あまり使われることのない概念でした。

 こうした中、経済学的知識の拡大とともに、本概念は一般的なものとなり、1900年代後半以降、国語辞書においても経済学的意味の範疇の中で記載されるようになります。そこでは採録時期や同時に採録されているサブカテゴリーから、本概念が経済をめぐる諸実践の中で定着し、徐々にネガティブな意味を消し去りながら、中立的ないしはポジティブな意味へと変容していった過程を観察することができます。言い換えるのならば、現代にも通づる「消費」概念の用法は、おおむねこの時期に定着したものであり、その背景には高等学校の整備などに伴う経済学的知識の定着と、それをもととした消費組合運動に代表される諸実践があったと考えることができるわけです。

 では、こうした歴史的流れの中で、どのようなアクターの実践が大きな影響を与えていたのでしょうか。そしてこの流れはどのような形で戦後社会に接続し、今現在の私たちの生活に影響を与えているのでしょうか。今回は辞書という分析対象から、「消費」という言葉が採録されていくプロセスを論じることでこの問に外在的な参照点を与えたわけですが、こうした手がかりを元に今後具体的なテクストを通じて、より詳細を検討していかねばならないと言えましょう*4

参考文献(文中に記載の文献は除く)

林凌,2019,「人々が「消費者」を名乗るとき――近代日本における消費組合運動の所在」『年報社会学論集』in Press.

三浦梅園, 1773=1915,『価原』日本経済叢書刊行会.

徐水生, 2009,「翻訳の造語:厳復と西周の比較――哲学用語を中心に」『北東アジア研究』17: 19-28.

手島邦夫, 2002,「西周の訳語の研究」東北大学文学研究科博士論文(甲第8200号)

 

 

*1:河上肇がかつて日本における経済学的思考の端緒として参照した三浦梅園の『価源』においても、以下のような用法が見られます。「天下ノ物財ヲ費ヤスモノヲ遊民ト謂ッテ国家ノ蠧〔木食い虫〕トスル」[三浦 1773=1915:421]

*2:「消費」が採録されたのは、第3版

*3:彼らの実践はその後統制経済へ突き進む社会経済的情勢の中で相対的に大きな力を持つようになり、戦争協力へと突き進んでいくのですが、いずれにせよこうしたプロセスの中で「消費」や「消費者」という言葉は純粋理論的な、ミクロ経済学的想像力の範疇からはみ出る形で、冒頭にて示したような実践論的かつ規範的な語彙へと進化していきます。つまり、彼らは「消費者」が社会において主要な担い手であるが故に、彼らを悪辣な生産者から庇護し、生産者は彼らに奉仕するよう企業の方向性を変えるべきだと主張したのです。

*4:当然既にある程度の見取り図はついているのですが、それを書くと収集がつかなくなるので、このあたりで終わらせておきます

academistにて若手研究者のキャリアラダー問題に関するクラウドファンディングを明日より開始します:今一度その狙いを説明する

クラウドファンディングを開始しました!

https://academist-cf.com/projects/134?lang=ja

クラウドファンディグの要項を三行で説明する

  • 文系若手研究者の非常勤講師ポストへの就任状況に関する調査を実施します
  • あわせ、本問題が「問題」であることを周知すべく、Tシャツなどを配布します
  • 俺たちは困っている。しかしその困り方の程度すら分かっていない

なぜ、時間を割いて本ファンディングを実施するのか

最初に明言しておきたいのですが、本クラウドファンディング私個人の研究費獲得を目的としたものではありません。頂いたファンディング費については、かなりの額がグッズとしてリターンされますし、残りの額についても、調査実施に必要な費用(人件費・通信費等)に充当される予定です。ですので、原則本クラウドファンディングは、費用を集めることに狙いが有るのではなく、本活動を通じてこの問題を広め、周知することにあります。グッズ配布に主を置いているのも、その理由によるものです。

ではなんでそんなことを、博士論文を執筆するという重要な時期に行うのかというと、教育経験が現在の人文社会学系のポスト獲得において――少なくとも社会学では――非常に重要視されているにもかかわらず、その経験の獲得は、現状極めて不安定な状況にあることを、問題視しているためです。クラウドファンディングでは、この点がアカデミア全体の構造的問題に起因していると捉えた上で、問題の周知広報と、問題の実態を少しでも明らかにすべく調査を行う予定です。以下では、その点を説明します。

まず、クラウドファンディングのページにも記載していることでもありますが、現在の非常勤講師ポストへの着任に置いては、多くの場合以下の要件が求められます。すなわち当該科目ならびにそれに類する科目の教育経験と、博士後期課程満期退学であることです。つまり、非常勤講師ポストは教育経験があるポスドクのための職であると捉えられ、運用されています。

この事の問題は明らかです。第一に、こうした要件はほとんど明示されていません。非常勤講師のポストは、公募にせよそうでないにせよ、多くの場合要件を明示せずに募集されます。このことが応募側に多くのコストを押し付けていることは明らかです。

第二に、なぜ正規職への採用を決める重要なファクターである非常勤講師職において、非常勤講師の経験が必要となるのでしょうか。そもそも非常勤ポストは他の大学の常勤ポストの教員を招聘するためのものである、教育の質を保証するためであるという理由は理解可能ではありますが、一方でそれは若手研究者を正規職に突かせるまでの時間を長引かせ、不安定な境遇をかこわせることとなるのです。

第三に、なぜ博士課程在籍中の学生は、非常勤ポストから排除されているのでしょうか。もちろん、ここにいくつかの理由をつけることは可能です。だがここで問題としたいのは、非常勤講師職が実質的にポスドク職として運用され、博士後期課程の院生が門前払いされるとき、大学院生の将来の貧困は構造的に規定されているということです。なぜならば、正規職への採用が一般に教育歴を必要とし、大学院生時代にその経験を獲得できないとするならば、博士課程修了後即座に正規職に就くことは、どんなに優秀な院生であっても困難だからです。

こうした例示に対し、研究者の皆さんは様々な「例外」を思いつくでしょう。学振PDの存在、先輩から受け渡される非常勤講師枠の存在、そもそも即座の就職はどんなに優秀であっても実質不可能、etc…しかしここで私たちが考えるべきなのは、そうした例外ではなく、「なぜ私たちはそうした例外条件に人生を振り回されているのか?」を考えることではないでしょうか。言い換えるのならば、本ファンディングはこうしたある種理不尽な非常勤講師ポストをめぐる構造を精査し、問題を洗い出すための手がかりを作り出すための試みであると言えます。

ファンディングの狙い:まずは問題を問題と捉えられるようにすべきである

さて、以上の説明を受けたとしても、皆様の中には以下のような疑義を持つ人がいるかと思います。まず第一に、本ファンディングのうち少なくない額をTシャツやステッカーといったキャンペーングッズに割くことです。第二に、本調査の社会調査としての妥当性です。

まず第一の点についてお答えします。私は、まずこの問題が現状問題として受け止められていないことに大きな危機感を抱くべきだと考えています。先述したように、現状の非常勤講師ポストを巡る制度は、歴史的経緯の元極めて若手研究者にとって不確実なものとして運用されています。問題は、利益を得られるか得られないかではなく、それを得られるかどうかが、完全に「僥倖」のもとにあることにあります。このことは結果として、若手研究者を2つに分断することになるわけです。方や非常勤講師ポストを得る側、かたや得られない側。そしてそれは完全に運に支配されているとしたら?私たちは、自分への利益供与がされているかされていないかはともかくとして、こうした不確実性に満ちたキャリアラダーを少しでも確実なものとすべく、問題認識を一致すべきであると考えます。ですから、本クラウドファンディングは有る種の広報周知に力を入れているわけです。

第二に、本調査の妥当性です。本クラウドファンディングで予定している調査については、現状一般的な社会調査に求められる要件を満たすことについては困難であると考えています。まず研究者側については統一名簿が手に入らない以上(各所に協力は仰ぐ予定ではありますが、それでも総体把握は困難です)、一般的なサンプリング調査は不可能ですし、セカンドゴール以降で予定している大学側への調査については、担当部局が複数にまたがることや、内規にかかわることからも回答率がかなり低めに出ることが予想されます*1。そのため、もし調査を実施したとしても、それが本当に全体の傾向を表しているものといえるかどうかについては、統計学的には担保が難しいこととなります。

しかしながら、それでも本調査を行うのは、物事はたとえ不確実であってもまずは「数量化」されるべきだと考えているからです。博士論文ではこうした近代社会が有する「数量化への欲望」に対して批判的立場を取る予定ですが、それはそれとして私たちの社会は今なおこの欲望に取り憑かれています。であるがゆえに、この社会に少しでもこの問題を周知する際には、社会調査に求められる要件を満たしていないとしても、まずは数量的なデータを示すことが重要であると考えています。

もちろん、これはきちんとした設計に基づいた社会調査が必要ないということを意味しているわけではありません。しかしながら、本調査をこうした要件を満たす形で実施することは、金銭的にも人手的にも困難です。そのためあくまでも今回の挑戦は、本問題を周知するという初期フェーズを開拓し、そのために必要な調査を実施するという試みであり、その後のより詳細・正確な実態調査の実施については、別のアクターに果たしていただきたいと考えています。

最後に

こうした主張に賛意を抱いていただける方は、是非ともクラウドファンディングにご参加願います。少額でも賛意を示していただけることは、非常に励みとなります。

また、本調査にご協力いただける方を募集しております。参加形態は匿名非匿名どちらでも結構ですし、コミットの度合いもできるだけ柔軟な形としたいと思っております*2。金銭的に本クラウドファンディングへお金を投下することが難しいが、協力したいという方、純粋に本調査に関心がある方がもしおられましたら、是非ともご協力いただけますと幸いです。

 

クラウドファンディングのページ公開は明日となります。しばしお待ち下さい。

なお、ファンディングへの参加にはacademistのWEBサイトへ会員登録が必要となりますので、できれば事前にご登録ください!初動が大事なので出来れば早めにファンディングいただけると助かります

https://academist-cf.com/

 

 

 

 

*1:そのため大学側調査については、複数の大学へのインタビュー調査に変えることも検討しております。

*2:調査票設計のみへのコミット、データ集計のみへのコミット、データの二次分析のみなど、いずれでも良いと考えています

今更書いた論文の紹介をする②:「商業近代化運動」の論理/倫理――商業コンサルタントによる「安売り」をめぐる言説に着目して――『社会学評論』 69(1), 107-124, 2018

はじめに

前回と同様、Web公開された論文の解説を、投稿の背景なども踏まえた形で行います。

前回はこちらを参照

www.jstage.jst.go.jp

 

論文概略

  • D3の時に掲載された論文。投稿はD1の5月で掲載が決定したのはD2の6月。査読結果は投稿(5月)→第一回査読(C/C、9月)→第二回査読(A/C、審査割れのためB判定、3月)→第三回査読(掲載決定、6月)
  • 2本めの投稿論文で、博士時代に書いたはじめての論文。しかし書いてから掲載されるまで二年かかるのが『社会学評論』ですね!
  • 内容はざっくりいうと、1960年代の雑誌『商業界』上のコンサルタントの言説実践を通じて、日本における商業構造変化の背景を分析したもの。チェーンストアは今や当たり前のものとなっているが、戦後日本においては根強い抵抗感があり、チェーンストアやそれを成り立たせる経営施策(≒「安売り」)はなかなか広がっていかなかった。この際、活躍していたのが『商業界』に寄稿していたコンサルタントたちで、彼らの「商業近代化運動」の重要性は流通研究においても指摘されている。では、彼らはどのようなロジック(=論理)で「商業近代化」を正当化し、それをどのようなエシックス(=倫理)をもつものとして主張したのか?そしてそれを分析することにはどのような意義があるのか?
  • 上記の問いに対する回答は以下のように行いました。「商業コンサルタントは、『計数管理に基づいた近代的経営』が重要であると考え、その具体的方策を雑誌やセミナー上で主張していた。これは当時の商店経営が一時的な利益獲得を目指す一方で、消費者への利益還元を目指さない点が、彼らにとって問題視されていたからである。つまり、『公共社会の一員である商業者は、社会への貢献を行わなければならず、それは低廉な価格での商品供給に求められる。そしてそうした商品供給を持続的に行うためには、マネジメントが重要である。事実、アメリカなど既に消費社会に突入した国家においては、事実消費者への貢献を行わなければ生き残ることが出来ていない。だから、日本の小売業者も変わらなければならない』と、彼らは考え、それを広めていたのである。こうした論理の拡散は、戦後日本における小売業界の構造転換において決定的な役割を果たしたし、『消費者への貢献』という倫理を、広く日本社会に植え付けたという意味で、社会学的にも重要である。」
  • 自分の中で、「商業」をめぐる言説実践を社会学の系譜の中になんとか位置づけることが出来たと感じたはじめての論文。そういう意味では愛着がありますし、今でもまあその主張に新規性はあると考えている(『消費社会』の自己成就性!)。とはいえ、具体的な資料の解釈レベルで問題が有るなと、その後調べを続けていく中で気づく点も多々あり…

悲喜こもごも

  • 修士時代投稿していた査読論文がひでえリジェクトをされた衝撃で、論文の筋が瞬時に思いついた(ショック療法)。今でもあんな経験をしたのは唯一なので、時々あの天啓が振ってこないかなあと思うこともしばしば。まあ、アイディアはともかく論理構成はメタメタだったんだけど…
  • 知っている人は知っていると思いますが、『社会学評論』は査読もさることながら掲載決定から掲載されるまでが長い!掲載決定から掲載されるまで1年かかるわ、掲載されてから1年は論文投稿が出来ない(つまり二年間投稿禁止)わと、なかなか大変でした。ただし掲載許可証は発行してくれます。
  • ただ、査読自体は(質はともかくとして)しっかり付き合ってくれる印象でした。もちろん査読者にもよりますが、「最初はひどくてもいい部分があれば継続査読」をしてくれる、数少ないジャーナルでは有ると思います。『ソシオロジ』も癖があるしね…
  • 当時は仮想敵として置いていた消費社会論にむこうを張るために、『当時タブー視されていた活動を推し進める商業コンサルタントの実践の背景には、彼らの「消費社会」をめぐる危機感が存在していた。このように、消費社会論が主張してきた社会変容は同時代のアクターにとっても重要な課題だったのだから、当事者言説のレベルからその変容過程は再検討されなければならない』という落ちにしたんだけど、これは今見ると主張としては間違いじゃないけど、事実関係を適切に描写しているとは言い難い。というのも彼らは戦前期に自らのキャリアをスタートしていて、総力戦体制期にはすでに似たようなロジックで言説実践をしていたのだから、彼らの実践の根拠を戦後日本におけるアメリカ化と「消費社会」を巡る認識のみに帰着させるのは不適当なんですよね。
  • では、彼らの議論が戦前期から始まっていることを踏まえるとするならば、どのような議論の再構築が可能となるのでしょうか。今のところ、さしあたり彼らコンサルタントの実践の背景には、日本社会の近代化にともなう「消費者」言説の拡大があったと見ています。つまり、当初経済学における”Consumer”の訳語として作られた「消費者」概念が、戦前期に様々な要因の元その意味範囲を拡大させていったことによって、こうした商業コンサルタントの活動が可能となったようなのです(これは概念連関のレベル、具体的なパーソナルネットワークのレベル双方においてそうだと考えています)。ではその「消費者」言説の拡張は、具体的に、どのようなプロセスのもと戦前期に行われていたのかというと…この後は今年度発行される『年報社会学論集』に載る予定の論文を見てください!

 

突然ですが、クラウドファンディングを始めます:その理由と動機、目指すもの

突然ですが、クラウドファンディングを始めます

拝啓、不肖林凌(@HR67579657)、このたびクラウドファンディングを始めることといたしました。

といっても、ページの正式公開は6末~7初旬予定です。ですので、以下の内容もすべてongoingのものとなります。その旨ご了承の上、お読みください。

クラウドファンディングでは何をするのか?

 「若手研究者のキャリアラダーとしての非常勤講師ポストの不透明性」についての実態調査と、それに伴うグッズ配布活動を実施するための、クラウドファンディングを行います。具体的内容は以下のとおりです。

 第一に、本問題を周知し、広く社会に訴えるためのグッズ配布活動を行いたいと考えています。つまり、一般的な購入型クラウドファンディングと同様に、一定の金額をお支払いした方を対象に、Tシャツやステッカーといったグッズを配布いたします。

 Tシャツ・ステッカーのデザインについては下記を参照いただければと思いますが、一見「おふざけ」に感じられる部分があるかもしれません。しかしこれは単なる「おふざけ」ではなく、私たち若手研究者が置かれている苦境をユーモアで笑い飛ばすと同時に、アカデミックと関係する方々以外にもこの活動を知ってもらうことを目的としています。草の根、裸一貫、なんの組織的後ろ盾もない、吹けば飛ぶような活動である以上、人々にポジティブに認知してもらえる活動であることが、まず何よりも重要であると考えています。またこの見地より、これらのグッズについては、単に配布するだけでなく、実際に学会や研究会で着用していくことを通じて、「問題の周知」をアカデミック全体に広げていくことも目的としています。

 第二に、こうした問題がどの程度深刻なものなのかを、上記した論点に沿った形で把握可能とすべく、若手研究者(博士課程院生含む)を対象とした実態調査を行います。実態調査の内容については、原則としてWeb上での質問紙調査を行い、性別・年代・大学・学問分野といった分析軸ごとの基礎的集計をもとに、報告書の作成を実施する予定です。本調査については、調査設計の段階から、関心がある研究者の方々にはぜひとも広く参画していただき、かつ分析結果だけでなく調査データについても、一般公開することができればと考えております。また、ストレッチゴールの達成度合いによっては、調査対象の拡充(若手研究者だけでなく大学側も調査対象とする)や、多分野の若手研究者を対象とした質的調査の実施、学会・研究会などでの本問題に関するワークショップの実施なども行えればと考えています。

なぜクラウドファンディングという手法をとったのか?

 今回クラウドファンディングに挑戦する理由となったのは、同僚との会話からでした。一体非常勤講師のポストはどうやったら獲得できるのだろう。いくら査読誌に論文を出したって、教育歴がないのでは就職もままならない。このまま座して非常勤講師ポストが来るのを待つしかないのだろうか。こうした鬱屈した会話の中から、一つの異議申し立ての形態として、この問題を訴えるTシャツを作って配布したらどうかというアイディアが出たのです。ですが、仲間内でTシャツを作るだけでは、単なるお遊びに過ぎません。私たちが持つ問題意識を踏まえ、むしろこのことを世に問うことも重要ではないか。そう考え、今回若手研究者を対象とした実態調査と、グッズ配布を通じたアウトリーチ活動を行うべく、クラウドファンディングに挑戦することといたしました。

 今回クラウドファンディングが無事成功した暁には、研究費は以下の用途に充当します。まず、ファンディングにご参加いただいた方に配布するグッズ作成費用です。具体的には、Tシャツ・ステッカーの作成を行います。また、今回実施する「人文・社会科学系若手研究者の非常勤講師ポストに関する実態調査」にかかる諸費用に、グッズ作成費を差し引いた本ファンディングの費用をすべて充当します。ファンディングの結果頂いた額に応じて、後者の実態調査については、質・量とも拡充を行う予定です。

 この問題については、今まで若手研究者内で囁かれこそすれ、大学・学問領野間の格差の大きさもあり、ほとんどその実態については明らかになってはきませんでした。本ファンディングでは、まずこの実態を明らかにし、かつこの問題を周知することを目的とします。現実的には、本問題には様々な要因が絡み合っているため、短期的な解決は困難であると思われますが、まず問題を「知ってもらうこと」。そのことが、第一であると考えます。

想定される(批判的)問答

Q 私の周りでは非常勤ポストの配分はうまく行っていて、実際私もうまい形で先生から譲ってもらえた。だから、クラウドファンディングなんかをして、自分がさも大学院生の一般であるかのように主張するのはやめてほしい

A まず、そうした多種多様な状況を可視化すること自体が、重要であると考えています。確かに、今私が置かれている状況は「特殊」であり、その問題は大学院一般というよりも私が所属している組織ないしは自己の能力に責任帰属されるべきたぐいのものかもしれません。しかしながら、現状において私たちはそういう判断を可能な材料を持ち得ていないわけです。これがたとえば「調査対象のうち、○割は非常勤ポストを得ていて、そのうち社会学系の人は○割で~」というデータが有れば、私たちは自らがどの程度恵まれていないのかがわかるわけです。その意味において、本活動の趣旨が「恵まれない院生による異議申し立て」(のみ)ではなく、「そもそも今院生が置かれている状況の可視化」にあることは、繰り返し主張しておきたいと思います。言い換えるのならば、「恵まれていようが恵まれていなかろうが」、いろんな方に本活動や、調査に参加してもらうことが重要であると考えています*1

Q この活動の最終目標がわからない。結局制度を変えたいのかどうなのか?

A 本活動の目標は、先述したとおり「異議申し立てを通じた課題提起」と、「実態調査を通じたエビデンスの提供」の2つです。一方で、本活動については、現状継続的実施(実態調査の年次的継続)や、組織化を検討しておらず、あくまでも勝手連的な活動にとどめたいと考えています。これは、そもそも現状林の個人的活動である以上、広がりを持ちようがないためであり、さらにいうのならば、特定の誰かを敵に回すような活動は、この問題の構造を鑑みると行いたくないためです。よって、「制度を変える」端緒となる切っ掛けを作り出すことを望んでいますが、その後については、別様のやり方が必要ではないか、少なくとも本活動の射程外ではないかと考えています。

Q. 調査設計が不透明である。そもそも全国の大学院生を対象とした調査など可能なのか?

A. 後述するように、まだ予算がどの程度確保できるかがわからない状況のため、明確な調査設計については触れられておりません。この点については、ファンディングが成功した段階で、改めてご連絡します。後者については、現状当たりをつけ始めている段階ですが、最悪Web上での非抽出調査であっても、本調査には一定の価値があるとと考えています。というのも、繰り返しますが私たちはその程度のデータすら今有していないからです。

Q. 調査・分析に参加する人を募るっていってるけど、どうやって参加すればいいの?そもそも何をやるの?

A. 私に何らかの手段で連絡ください。調査が本格化したら連絡します。調査・分析については、質問表レベルで関わっていただくことも、データの二次分析をやっていただくのでも構いません。少しでも関心があるのならばご連絡ください(もちろんファンディング成功時で結構です)。

Q. クラウドファンディングで獲得した資金執行の透明性はどう担保するのか?

A. そもそもグッズ作成費とみかじめ代で6-7割行くので、調査費がどの程度確保できるのかが不透明な状況です。調査内容をファンディング額次第で動的に変える予定なのは、そのためです。原則、得た資金はすべてグッズ作成と調査費につぎ込む予定です。

Q. はやくグッズの具体的内容・デザインあげろよ

A. 関係各所と調整中です。ファンディング抜きにしても買いたくなるものにできればと思い努力しています。

Q. 業績にもならないことやるんじゃなくて「研究」しろよ。そんなんじゃ生き残れないよ?

A. こういう議論が出てほしくないことを祈るばかりですが、昨今の情勢を鑑みると出かねない(それも同業者から)と思うので一応書いておきます。局所最適を図って自分が生き残ろうとするのは大事なことですが、それだけではアカデミックギルドを維持することはできません。そもそも今の大学(企業・官公庁もそうだと思いますが)の問題の多くが、そうした局所最適を図り続けた結果ではないでしょうか?ネオリベラル的な自由主義的振る舞いも結構ですが(なんてったってあれは不遇な状況を乗り越えた人間に「能力」という神話を提供するわけですから)、もうそんなこと言って余裕ぶっこいている場合じゃないでしょうと思ってます。だってそうやって競争に勝ち抜いたところで、その勝ち抜いた猿山自体がいつなくなるかわからないんですから。まずは猿山の維持が大事じゃないでしょうか。これは私の、本ページにおける唯一の政治的意見です!

 

*1:例えば研究であれば、学振や研究助成金の採択率は公表されており、多くの分野にて「どの程度」業績を残せばどの程度のポジションに居るのかは、肌感覚で概ね理解可能な状況であるかと思います。一方、非常勤ポストはそうした状況にありませんし、共有も不足気味です。