文系大学院生が博士号を取得するに至った経緯と所感

概要

2021年12月に、私は博士(社会情報学)を授与された。どんな凡庸な人間であっても、博士号を取るまでにはそれなりの経緯がある。そして、そうした経緯に関する情報は、それなりには面白いであろうし、後進のためになる部分もあるかとは思う。

最初に

筆者の専門分野は社会学であり、更にその中でも歴史学・思想史よりの分野である。つまり、同じ社会科学系といってもポリサイや経済学に属する人々とは感覚が大きく異なると思われる。同様に、おそらく哲学や美学と言ったザ・人文学に属する人々とも感覚が異なることが想定される。

博士論文を提出するまでの事務手続きには、多くのコストが費やされ、個人的にも極めて苦労したという所感を持っているが、これは私が博士課程を送った研究環境に強く依存した話なので省くこととする。おそらく世の人はこんなに苦労しないし、しなくて良い。

後述するように、筆者の教育経験やライフコースは、一般的な文系研究者のそれといささか異なる。とはいえ、文系研究者(を目指す人々)の属性の分散がそれほど小さいとも思えないので、何かしらの部分は参考になると思われる。

なぜ博士号を取りたいのか

博士号を取ろうとするモチベーションは、人によって様々だと思われるが、大きく括れば研究職を目指すために必要だからだ、ということになると思う。となると、問題はなぜ研究者を目指すのか、という点になる。というわけで、いささか饒舌な自分語りではあるが、その点について触れる。

筆者の場合、別に周囲に研究者がいたわけでもなく、むしろそうした環境からは縁遠かったと思うのだが、思えば中学生の頃からぼんやりと研究者という職業に対するあこがれがあった。とはいえ、どうすれば研究者になれるのか、ということもよく分からなかったので、とりあえず「研究」っぽいことができるだろうし、手に職もつけられるだろうということで、実家から通える高専(工業高等専門学校)に進学した。

もちろん、この選択は大間違いであった。今思えば同じクラスから理系の博士号取得者も出たのだから、悪くない環境ではあったのだろうが、数学能力の低さにより完全に落ちこぼれたこと、地方都市の文化的閉塞感に思春期特有の鬱屈した感情を抱いていたことにより、3年生の夏に突如、年度末に退学し、今年中に文転・大学受験を行うことを決めた。国語と社会系科目の点数が良かったことは救いだったが、とはいえ苦手科目をどのように勉強すればいいのかさっぱりわかっていなかったので、夏にはそれなりに見られる数字だった模試の偏差値は、母集団の能力向上とともに低落の一途を辿り、最終的には奇跡的に一つだけ引っかかった関西私大の地理学専攻に入学した。

だが、これは結果的には幸運にも良い選択であった。第一に、この専攻は比較的研究者の再生産に成功しており、アカデミズム的気風がそれなりにあった。そのため、筆者のような人間でもそれほど浮かずに済んだ(浮いていないとは言っていない)。

第二に、十分に明確化されていなかったとは言え、多くの人々との対話を通じて、自分の問題関心というものをそれなりに固めることができた。筆者の問題関心は、今思うと自治体行政や企業経営においてなんとなく支配的となっているロジック(きまり文句)の形成過程と、それが人々の実践に与える影響の双方を考えることにあったのだが、地理学という領野で学ぶことは、前者については地理思想などから、後者についてはフィールドワークなどから考えるにあたり適していた。おそらく、最初から社会学や社会思想史をやっていたら、研究テーマが地に着くことはなかったように思われる。

第三に、よくも悪くも天狗でいても問題がない環境であったことも、筆者のような夜郎自大には適していた。おそらく何かの間違いで東大なぞに学部で入っていたら、鼻をへし折られとても進学しようとは思わなかったろう。

ダラダラと書いたけれども、ようするに言いたいのは筆者の人生において、博士号だの文系の研究者だのといった選択肢は、学部の後半になるまでまったく現実味がないものであった、ということである。ふわふわした「研究者になりたい」という希望が現実味のある選択肢として何となく見えてきたのは、修士課程も終わりになった頃であったし、「研究者になれるかもな」と思ったのは、何本目かの査読論文が通った社会人博士時代であった。

そしてこの経験から言うと、研究者として博士号を取るために重要なのは、やはり才能というよりも諦めない心であるように思う。特に私がいるような分野は、やりさえすれば何らかの成果は出るので、それを積み上げながらより大きな問題系に接続させていくという作業が重要になる。この作業は確かにセンスが物を言うところもあるが、一方で具体的な成果なくして行うことが出来ない。そして、その具体的な成果を積み重ねるためには、しばし単調な作業を繰り返しながらも、自らの研究の有用性を信じ続けることが必要になる。

ではその有用性はいつ・どのように確信できるのか?筆者のような思い込みの激しいうぬぼれ人間であることもそれには一助するだろうが、おそらくそれは触っている資料体からそれまでにない知見を得るという経験が、他では代替できないものであると考えられたときではないだろうか。筆者は修士課程時、歴史資料を分析する作業を通じて、自分がそれまで知り得なかった歴史的系譜を確認し、それを通じて先行研究の知見を刷新することができること、そしてそれが現代社会に支配的な諸観念を書き換えうるものであると思うようになった。博論を出し、博士号を取ることを人生の目標にするようになったのはそれからで、逆に言えば自分のアイディアが世に出るまでは死ねないという実感を持つようになった。

博論を出すことが、自分ができる最高の仕事であると思えるならば、やはり博士号を取ろうと人はするのだと思う。逆に、そうでないならば、当然より高い賃金を、より高いチヤホヤを…に流れていくのは人の常である。私は社会人時代、どうしても社内で最優秀とされている人ほど仕事に打ち込めなかったが、それはそれがどうしても自分の天職と思えなかったからであった。逆のパターンも数多くあるだろう。

博士号を取得するにあたって考慮したほうが良いこと

そもそも文系大学院に進学すべきなのか?

以下は各論である。しかし、それなりに重要なトピックであると思われる。

いろいろな意見があるだろうが、私個人の経験としては、少なくとも修士課程に進学したことは自分の人生において利益しかなかった。理由としてはまず、おそらく学部卒ではエントリーシートすら通らなかったような企業に入り、それなりの賃金を得ながら、その後の研究者人生に資する貴重な経験をすることができた、という点がある。筆者はいわゆる「院ロンダ」に該当する進学をしているが、こうした進学が一般的な人生設計においても有用となる可能性は高い、という点は強調しておきたい。事実、筆者だけでなく周辺にいる人達を見ている限り、いわゆる不本意就職はほとんどの人がしていないように思われる*1

第二に、少なくとも東大・京大のような大学の文系大学院に進学することは、それまで見たことがなかったような人々と触れ合う機会を提供する。筆者は上述の通り高専を退学後関西私大に入学し、その後大学院に進学したが、大学院で出会い、現在も仲良くさせていただいているような人々は、正直それまでの人生で一回も出会ったことが無いような人々であった。いわゆる首都圏の中高一貫校を出た人々と、あるいは東大のいわゆる神童に属するだろう人々と知り合いになれたというだけで、個人的には進学する価値があった。

よって、もちろん向き不向きもあるので一概に勧めることはできないが、それなりに研究が好きで、上昇意欲がある人であれば、東大・京大などに「院ロンダ」することは、少なくとも修士課程においてはおすすめできる選択肢である。もともと有名大学にいる人を除けば、文系大学院に進学することに経済的不利益は殆どなく、むしろ階層上昇の契機を提供する。

ただし、博士課程に進学することにはそれなりの覚悟がいる。文系院の博士課程というものは、現状研究者になるための登竜門として位置づけられており、広範なキャリアを保証するものにはなっていない。

ただこれは、ある程度は詮無いことであると個人的には思っている。なぜならば、現代社会を何らかの意味で批判したいと思っている人間が、アカデミズム以外の界でサクセスを勝ち取ろうとすると、深刻な認知的不協和に陥るからである。

筆者が民間企業で労働していたとき、客観的に見ればいい身分だったにもかかわらず、しばしば不幸であるという感情を抱いていたのは、この点によっている。逆に言えば批判意識がないのならば、アカデミズムに無理に残る必要はないだろう。批判意識の存在は、博論の意義を内的に位置づける重要なファクターだからだ。

修士課程後就職するか、そのままD進するか?

筆者は修士課程修了後、博士課程に進学した後休学し、3年間コンサル会社にて勤務した(最後の一年は復学)。ではこの選択は研究者としてのキャリア形成において、果たして良かったのか。

まず利点を述べると、先述したように修士課程修了後に、なかなか得ることが出来ない経験と、それなりの賃金をもらうことが出来たことは僥倖であった。前者については、社内におけるプロジェクトの意思決定過程や、様々なクライアントとのやりとり、国や地方自治体の会議のロジといった(ブルシット・)ジョブを経験することが出来たのは、バイトなどでは得ることが出来ない、研究の勘所を押さえる上で得難い経験であった。

もちろんこれは、筆者が日本における地域政策・地域開発の形成過程や、流通業の仕組みに対する関心を持っていたという事情あってのことであったが(筆者はこの観点からのみ就職先を選択していた*2)、社会学やその周辺領野の場合、自分の研究と関連する労働というのが何かしらあると思われる。というわけで、研究をすすめる上で労働が完全に無駄になるというわけではない。データを取れるわけでなくとも、データ解釈に役立つという経験はしばしば生じる*3

さらに、後者について言えば、ありがちな話ではあるが貯金をある程度作ることが出来たのは、研究生活を進める上で非常に重要であった。学振の特別研究員(DC)は、諸々の事情を考えれば文句を言えるような待遇ではないのだが*4、それでも東京で家を借りながら暮らすには十分とは言えない。筆者はそこそこケチな性格だと思うが、企業を退職後、特別研究員の奨励費のみだと年間(数)十万円程度の赤字が出ていた。これをなんとか補えたのは、それまでにあった蓄えのおかげだったし、2年半の特別研究員採用後、博士号が出るまでの3ヶ月はほぼ無職だったので、果たして企業に就職していなかったら博士号までたどり着いたかどうかはよくわからない。やはり、進学前に100万円は貯金があったほうが良い*5

では、欠点はどうかというと、時間が足りないという点と、マインドリセットが難しいという点を挙げることができる。前者については言うまでもないが、フルタイムで労働しながら研究をするのは並大抵のことではない。特に文系院生が就職できるような職種は、給料の多寡にかかわらずブラック気質なとこが多いので(コンサル・マスコミ・広告など)、研究に割ける時間は一般的な院生の1/10~2/10といったところだろう。ただ、時間が限られた中でどうやるのか、という点を勢い考えざるを得ないので、効率化という点では良い点もあるが。

後者の点はより深刻だし、後遺症が残る。分かる人には分かると思うが、企業での労働は、表面的に研究と類似のタスク(総合評価入札業務・対企業プレゼン等)であっても、研究とは最終的な到達点が異なる。労働の場合、その業務には締め切りというお尻があるし、それが終わってしまえば、どんなに消化不良であろうと先に進むしか無い。逆に言えば、成果物の評価は相対評価でしか無いし、そのクオリティは問われないことも多い。いきおい、クオリティの追求をそこそこで辞め、試行回数を増やすべきだという思考回路が脳内に形成される。

ところが、研究というものはあくなきクオリティの追求をしないと、なんというか限界突破をすることができず、評価の対象になるようなものにならない、というところがある。特に博士論文を書くにあたって、この頭の切り替わりがなかなか生じなかったことは、大きなタイムロスとなったし、メンタル的にも良くなかった。何よりも多くの先生方に迷惑をかけた。

結論から言えば、就職によって博論提出は明確に遅れた。筆者は社会人3年+専業院生2年9ヶ月で博士号までこぎつけたが、専業でずっとやっていれば理論的には4年弱で取れていたのではないかと思う*6。しかし、社会人をやっていたからこそ、メンタルやお金がもったとも言えるわけで、ここらへんはなんとも言えない。ただし、博士号が遅れること、あるいは満期退学が遅れることは、アカデミアポスト獲得という点では明確に不利ということだけは付記しておきたい。つまり、かじれるスネがあり、かつそれに良心の呵責がないのなら、社会人を経由することの直接的メリットはない。しかし、得難い経験を得るという間接的メリットはある。

文系院にて博士号を取るとはどういう経験で、そのメリットとはなにか?

ここでの文系院とは、先述したように筆者が経験した領域内においてのことなので、端的に言うと東大・社会学という括りの中でのものとなる。で、結論から言えば私が博論提出までに総体的に受けた指導とは、「学術的に価値がありながらも、商業出版にこぎつけられるだろうものを作る」という点であったように思う。

このような指導は、おそらく普遍的なものではない。分野によっては複数の査読論文をまとめただけのようなものが博論として通ることもあるし、そうでなくとも出版が前提として審査が行われることは稀だろう*7。その意味において、この指導は東大社会学の(一部の)特殊性を表しているわけだが、これは結果的には良かったと考えている。

というのも、先述したように筆者は査読論文で自らの調査結果をまとめるという作業を行ってきたものの、それを一つの体系だった大きな仕事に仕立て直すという点について、不十分だったからだ。いくらアイディアが素晴らしいものだとしても、それが全体のパッケージとして優れていなければ読んでもらえない。そして筆者の研究のモチベーションは、自らの研究は広く読まれるに値するものであるという点にあった。ゆえに、先述した自分の博士号取得動機を満たすうえで、この指導は非常に有益であった。自分で納得行く博士論文を最終的に出せたときに、筆者は今後もそこそこ長い本を、読者に向けて書くことができるようになったのだろうと実感した。

しばしばアカデミズムは「象牙の塔」と言われ、蔑まれる。しかし、歴史的に日本における社会学という領野は、常にアカデミズム外部に読者を求めてきたし、それによって自らの有用性を示そうとしてきた。社会学が真に有用なものであるかどうかは、内部にいる自分には最終的にはよくわからないところだ。しかし、このように異なる他者に対し、難しいことを多くの言葉を通じて届けるためのトレーニングを受ける場所として、私が所属した研究科は(多くの問題点はあると思うが)非常に良い場所であったのではないかと思う。

もちろん、「売らんかな、売らんかな」が良いわけではない。アカデミズムにおける「真理」の追求は、商業主義と必ずしも噛み合うわけではないだろう。ただ、だからといって独りよがりになってよいわけではなく、自らの主張は誰しもに理解可能な形で届けなければならない。私が博士課程で得た経験とは、その微妙なさじ加減を会得するものであった。

*1:ネットでよく見る、「院ロンダ」は嫌われるだの、文系修士は就職先に困るだのは、少なくとも社会学界隈だと全く当てはまらない。逆に、なぜあのようなエビデンスが十分にないように思える主張がある種の説得性を持つのか、という点は社会学的には興味深い

*2:筆者は鎌田慧の『自動車絶望工場』を高専時代から愛読しており、もともと労働環境のルポルタージュや潜入調査が好きという性向による

*3:たとえば、地方自治体と国がどのようなやり取りをしているのか、という点や、地域政策がどのようなフローで決定され、コンサルに仕事が流れてくるのか、などは「中の人」にならないとわからない。

*4:良く額を上げろという主張があるが、個人的には反対。それよりも合格者を増やしたほうが良いというのが自分の考え。

*5:東京以外なら、学振だけでやってけると思います

*6:こう書いた後に、まあそれでも早いほうだよな、とは思う。

*7:複数の論文をまとめたような本も多々あるが、弊研究科はそれを許してくれるような環境ではなかった。なので私の博論は、ほぼ全て描き下ろし。