人文社会系研究者の実態を理解してもらうためには何が必要なのだろうか?――クラウドファンディグを通じて考えたこと

人文社会系若手研究者のキャリアラダーに関する広報周知・実態調査を目的としたクラウドファンディングを実施しています。

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受益者負担の原則?

 今日もまた、ろくでもないニュースが流れてきた。

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Q67 大学院生は新制度の支援対象になりますか。

A67 大学院生は対象になりません。(大学院への進学は18歳人口の5.5%に留まっており、短期大学や2年制の専門学校を卒業した者では20歳以上で就労し、一定の稼得能力がある者がいることを踏まえれば、こうした者とのバランスを考える必要があること等の理由から、このような取扱いをしているものです。)

 さて、もちろんこのことは、直ちに大学院生の学費減免制度がなくなるということを意味するわけではない*1。大学無償化法案は、あくまでも新たに上乗せされる制度である以上、既存の学費減免制度を廃止するかどうかは、大学当局の判断になるからだ。少なくとも、多くの大学で直ちに大学院生への援助を打ち切るということはないだろう。少なくとも数年間は。

 では何が問題なのか。大学院生をここで新規制度から排除するに至るまでのロジックである。ここで文科省は、大学院生を対象にしない理由を、大学院生の年齢と、その割合に求めている。つまり、①大学院生となる年齢においては、労働能力が認められ、賃金を生み出すことが可能なものであると考えられること②大学院教育が社会成員において共通されているものではないため、大学院生を無償化対象とすることは、無償化の対象の不平等性を生むものであることが、ここでは主張されている。

 こうしたロジックそのもののガバガバさ(大学教育も50%程度の人間しか受益するものではなく、そもそも累進性が高い制度である、このロジックだと学部3年以降もなぜ無償化されるのか、etc…)を指摘することも可能だが、ここで私がより深刻だと考えていることは以下のことである。つまり本法律において、高等教育無償化が受益者の目線で捉えられており、高等教育の拡充による社会への影響が度外視されているということ、その結果、大学教育には労働者育成としての意味付けしか与えられておらず、その結果「研究」拡充には一切の意味が認められていないという点である*2

 その結果、私たち院生はこの制度から二重の意味で疎外されていることになる。つまり、私たちが受けている「教育」は、受益者負担の観点から援助が却下され(お前たちは、人々が受けていないレベルの教育を受けており、それは「ぜいたく」だから支援の対象とはならない)、私たちが行っている「研究」もまた、支援されるに値しないものとしてみなされていると捉えざるを得ないのである(お前たちの研究は、同年代の人々が行う労働と同等のものとみなすことは出来ない)。

人文社会系研究者は果たして何をやっている人々なのか?

  こうした決定に対し、当然のことながら私たち大学院生は、少なくともその不躾さに対し怒らねばならないと思う。しかしながら一方で、私はこうも思う。私たちが何をやっている集団であり、どのような意味で社会に「貢献」しうるのか、それを少なくとも私たちのスタンスからより説明せねばならないのではないかと。特により一般にその効用が説明しづらい人文社会科学系は。

 こうした考えを持つのは、日本における科学技術政策の歴史を踏まえてのことである。知ってのとおり、日本における科学技術政策の歴史は、一貫して理系偏重の歴史である。もちろんこのことは、いくつかのコンテクストを踏まえれば理解可能である。だが、予算の額はともかくとして、一般的な制度設計において人文社会科学系の意見はどの程度受け入れられてきただろうか。そもそも視野に入ってきたのだろうか。院生はそもそも阻害されてきたのであるが、その院生が注目される場合も、それは新たな科学技術を生み出す理系院生のみに焦点が当たりがちではなかったか。

 私たち人文社会系の大学院生は、理系に比してそもそも数が少なく、また相互が分断されているため、群島のようなコロニーをそれぞれの研究領野で形成している。そのためノウハウや知識も分断されており、結果として共通項としての人物像を結びにくい。私たちが何をやっている人なのか、という点は私たちにとっても説明しづらいし、ましてや外部からみて想像もし難い。その結果、私たちは二重の意味で制度から阻害される羽目になり、最適解は周りを蹴落としながらサークル内で「業績」を積む「ネオリベ」的態度となる。

 もちろん、今回の問題は文理問わない共通の問題であり、そこに壁を作るべきではない。ただし一方で、私たちがもちうるバックボーンが相当異なるということもまた、主張しておくべきであると考える。というのも、例えば今回の問題が問題として認識された時に、次に問題となるのはこの点だからである。

人文社会系研究者はいかにして育成されるのか?

 私は、個人的な意見として人文社会系の研究者の社会的立ち位置は、自然科学系のそれとは大きく異なるという立場に立っている。もちろん私たちは、「新たな知の追求」という目的を共有している。しかしながら、その追求のスタイルは大きく異るからである。更に言うならばその派生結果として、大学内でベタに求められる社会的役割も異なるのである。

 具体例をあげよう。多くの理系研究室では、ラボの中で研究が進められる。各人は原則として教授などから研究テーマをもらいながら、実験などを進め、研究を行う。博士課程の院生は場合によっては指導にも回ることとなる。つまり、研究はチームで行われ、研究と教育は一体化している。

 一方、文系ではそうではないことが多い。多くの分野では研究は個人で行うものであり、研究室はあくまでも類似の関心をもった院生をつなぐ緩やかなネットワークとして機能する。そして研究と教育は多くの場合分離したものとして捉えれ、「非常勤講師」などの「教育歴」が重要視される。というのも、理系では「ラボの運営」がそのまま教育になるため、「研究をすること」がダイレクトに「教育歴」につながるのに対し、文系はそうではないからである。私たちは個人で研究を進め、それを研究会やゼミで共有しつつ、それとは独立にちゃんと授業を運営できるという証となる「教育歴」を積まねばならない。そしてその「教育歴」を積めるかどうかは、クラウドファンディグで主張しているように多くは「僥倖」の中にある。私たちが絶望し、不安なのは「金を稼げない」からではなく、まさにこの「将来の見通せなさ」であるからに他ならない。

 院生支援というと、一般に研究支援だと思われる。私がやっているクラウドファンディングも、本来は研究費支援のためのプラットフォームである。それは理系の場合、概ね正しい。しかしながらそれでは決してすくい取れない領域、教育経験をめぐる不確実性というものが、人文社会系の中にはあり、そしてそれは今まで語られてこなかった。今回の問題はそれ以前の問題とはいえ、次に問題となるのは、そして実際に問題となっているのはこの部分なのである。

水掛け論を抜きにして、私たちは何をすべきなのか

 実際のところ、官僚が人文社会系の研究者が完全にいなくても良いと思っているわけはない。私の少ない経験の中でも、お題目としての人文社会系研究者振興を拒絶する人間はいなかった。ただ、彼らの視野の中にそれは入っていないし、入っていたとしても彼らの目にはまったくお門違いの物が見えている。それだけなように思える。

 事実人文社会科学に対し、文科省がまったく手を入れてこなかったわけではない。様々に委員会やワーキングが組まれ、あるべき人文社会科学像は語られてきた。だが、そこで語られる未来は、あくまでも「研究」の側面に限定されたもので、いかにして「教育」経験を積ませながら、研究者を養成していくのかという点はついぞ語られてこなかった。しかしそれは思うに、彼らが私たちを憎んでいるからではなく、私たちのことを知らないからなのだ。そして私たちもまた彼らのことを知らないし、私達自身のことすら知らないのではないか。

 こうした「教育」と「研究」をめぐる二重の問題が存在していること、そして誰もそれを取り上げてこなかったことが、今回私がクラウドファンディングを立ち上げた理由である。そしてこのクラウドファンディングの究極の目的は、こうした現状の人文社会科学振興をめぐるコミュニケーションの齟齬をなくし、今や明白にその姿を表しつつ有る大学と官僚間の徹底的な不信の構造を、将来的に少しでも拭い去ることである。なぜならば、この不信が極限まで高まったとき、最も被害を受けるのは、最も基盤が弱い私たち人文社会科学系の院生だろうからだ。それは私たちにとっても望ましくないし、おそらくこの社会にとっても望ましくはないだろう。だからこそ、若手研究者のキャリアラダーの実態調査を行う必要があり、かつそこにおける「研究」以外の要因の重要性を明らかにし、周知することが重要なのである。

 なんだよ、宣伝かよと思うかもしれないが、こうしたニュースが流れてくるたびに、思いを新たにするところがあるんです。ご協力ご支援の程よろしくお願いいたします。

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*1:むしろ文科省としてみれば、こうした反応が来るのは意外なのかもしれない。というのも、本法律については、当初から大学院生は制度外であることが明記されているからだ。

*2:しかしこれも文科省的には当然かも知れない。というのも、本法律の対応セクションは高等教育局であり、表面上研究振興局は噛んでいないからである。いわゆるデマケというやつである。