今更書いた論文の紹介をする②:「商業近代化運動」の論理/倫理――商業コンサルタントによる「安売り」をめぐる言説に着目して――『社会学評論』 69(1), 107-124, 2018

はじめに

前回と同様、Web公開された論文の解説を、投稿の背景なども踏まえた形で行います。

前回はこちらを参照

www.jstage.jst.go.jp

 

論文概略

  • D3の時に掲載された論文。投稿はD1の5月で掲載が決定したのはD2の6月。査読結果は投稿(5月)→第一回査読(C/C、9月)→第二回査読(A/C、審査割れのためB判定、3月)→第三回査読(掲載決定、6月)
  • 2本めの投稿論文で、博士時代に書いたはじめての論文。しかし書いてから掲載されるまで二年かかるのが『社会学評論』ですね!
  • 内容はざっくりいうと、1960年代の雑誌『商業界』上のコンサルタントの言説実践を通じて、日本における商業構造変化の背景を分析したもの。チェーンストアは今や当たり前のものとなっているが、戦後日本においては根強い抵抗感があり、チェーンストアやそれを成り立たせる経営施策(≒「安売り」)はなかなか広がっていかなかった。この際、活躍していたのが『商業界』に寄稿していたコンサルタントたちで、彼らの「商業近代化運動」の重要性は流通研究においても指摘されている。では、彼らはどのようなロジック(=論理)で「商業近代化」を正当化し、それをどのようなエシックス(=倫理)をもつものとして主張したのか?そしてそれを分析することにはどのような意義があるのか?
  • 上記の問いに対する回答は以下のように行いました。「商業コンサルタントは、『計数管理に基づいた近代的経営』が重要であると考え、その具体的方策を雑誌やセミナー上で主張していた。これは当時の商店経営が一時的な利益獲得を目指す一方で、消費者への利益還元を目指さない点が、彼らにとって問題視されていたからである。つまり、『公共社会の一員である商業者は、社会への貢献を行わなければならず、それは低廉な価格での商品供給に求められる。そしてそうした商品供給を持続的に行うためには、マネジメントが重要である。事実、アメリカなど既に消費社会に突入した国家においては、事実消費者への貢献を行わなければ生き残ることが出来ていない。だから、日本の小売業者も変わらなければならない』と、彼らは考え、それを広めていたのである。こうした論理の拡散は、戦後日本における小売業界の構造転換において決定的な役割を果たしたし、『消費者への貢献』という倫理を、広く日本社会に植え付けたという意味で、社会学的にも重要である。」
  • 自分の中で、「商業」をめぐる言説実践を社会学の系譜の中になんとか位置づけることが出来たと感じたはじめての論文。そういう意味では愛着がありますし、今でもまあその主張に新規性はあると考えている(『消費社会』の自己成就性!)。とはいえ、具体的な資料の解釈レベルで問題が有るなと、その後調べを続けていく中で気づく点も多々あり…

悲喜こもごも

  • 修士時代投稿していた査読論文がひでえリジェクトをされた衝撃で、論文の筋が瞬時に思いついた(ショック療法)。今でもあんな経験をしたのは唯一なので、時々あの天啓が振ってこないかなあと思うこともしばしば。まあ、アイディアはともかく論理構成はメタメタだったんだけど…
  • 知っている人は知っていると思いますが、『社会学評論』は査読もさることながら掲載決定から掲載されるまでが長い!掲載決定から掲載されるまで1年かかるわ、掲載されてから1年は論文投稿が出来ない(つまり二年間投稿禁止)わと、なかなか大変でした。ただし掲載許可証は発行してくれます。
  • ただ、査読自体は(質はともかくとして)しっかり付き合ってくれる印象でした。もちろん査読者にもよりますが、「最初はひどくてもいい部分があれば継続査読」をしてくれる、数少ないジャーナルでは有ると思います。『ソシオロジ』も癖があるしね…
  • 当時は仮想敵として置いていた消費社会論にむこうを張るために、『当時タブー視されていた活動を推し進める商業コンサルタントの実践の背景には、彼らの「消費社会」をめぐる危機感が存在していた。このように、消費社会論が主張してきた社会変容は同時代のアクターにとっても重要な課題だったのだから、当事者言説のレベルからその変容過程は再検討されなければならない』という落ちにしたんだけど、これは今見ると主張としては間違いじゃないけど、事実関係を適切に描写しているとは言い難い。というのも彼らは戦前期に自らのキャリアをスタートしていて、総力戦体制期にはすでに似たようなロジックで言説実践をしていたのだから、彼らの実践の根拠を戦後日本におけるアメリカ化と「消費社会」を巡る認識のみに帰着させるのは不適当なんですよね。
  • では、彼らの議論が戦前期から始まっていることを踏まえるとするならば、どのような議論の再構築が可能となるのでしょうか。今のところ、さしあたり彼らコンサルタントの実践の背景には、日本社会の近代化にともなう「消費者」言説の拡大があったと見ています。つまり、当初経済学における”Consumer”の訳語として作られた「消費者」概念が、戦前期に様々な要因の元その意味範囲を拡大させていったことによって、こうした商業コンサルタントの活動が可能となったようなのです(これは概念連関のレベル、具体的なパーソナルネットワークのレベル双方においてそうだと考えています)。ではその「消費者」言説の拡張は、具体的に、どのようなプロセスのもと戦前期に行われていたのかというと…この後は今年度発行される『年報社会学論集』に載る予定の論文を見てください!

 

突然ですが、クラウドファンディングを始めます:その理由と動機、目指すもの

突然ですが、クラウドファンディングを始めます

拝啓、不肖林凌(@HR67579657)、このたびクラウドファンディングを始めることといたしました。

といっても、ページの正式公開は6末~7初旬予定です。ですので、以下の内容もすべてongoingのものとなります。その旨ご了承の上、お読みください。

クラウドファンディングでは何をするのか?

 「若手研究者のキャリアラダーとしての非常勤講師ポストの不透明性」についての実態調査と、それに伴うグッズ配布活動を実施するための、クラウドファンディングを行います。具体的内容は以下のとおりです。

 第一に、本問題を周知し、広く社会に訴えるためのグッズ配布活動を行いたいと考えています。つまり、一般的な購入型クラウドファンディングと同様に、一定の金額をお支払いした方を対象に、Tシャツやステッカーといったグッズを配布いたします。

 Tシャツ・ステッカーのデザインについては下記を参照いただければと思いますが、一見「おふざけ」に感じられる部分があるかもしれません。しかしこれは単なる「おふざけ」ではなく、私たち若手研究者が置かれている苦境をユーモアで笑い飛ばすと同時に、アカデミックと関係する方々以外にもこの活動を知ってもらうことを目的としています。草の根、裸一貫、なんの組織的後ろ盾もない、吹けば飛ぶような活動である以上、人々にポジティブに認知してもらえる活動であることが、まず何よりも重要であると考えています。またこの見地より、これらのグッズについては、単に配布するだけでなく、実際に学会や研究会で着用していくことを通じて、「問題の周知」をアカデミック全体に広げていくことも目的としています。

 第二に、こうした問題がどの程度深刻なものなのかを、上記した論点に沿った形で把握可能とすべく、若手研究者(博士課程院生含む)を対象とした実態調査を行います。実態調査の内容については、原則としてWeb上での質問紙調査を行い、性別・年代・大学・学問分野といった分析軸ごとの基礎的集計をもとに、報告書の作成を実施する予定です。本調査については、調査設計の段階から、関心がある研究者の方々にはぜひとも広く参画していただき、かつ分析結果だけでなく調査データについても、一般公開することができればと考えております。また、ストレッチゴールの達成度合いによっては、調査対象の拡充(若手研究者だけでなく大学側も調査対象とする)や、多分野の若手研究者を対象とした質的調査の実施、学会・研究会などでの本問題に関するワークショップの実施なども行えればと考えています。

なぜクラウドファンディングという手法をとったのか?

 今回クラウドファンディングに挑戦する理由となったのは、同僚との会話からでした。一体非常勤講師のポストはどうやったら獲得できるのだろう。いくら査読誌に論文を出したって、教育歴がないのでは就職もままならない。このまま座して非常勤講師ポストが来るのを待つしかないのだろうか。こうした鬱屈した会話の中から、一つの異議申し立ての形態として、この問題を訴えるTシャツを作って配布したらどうかというアイディアが出たのです。ですが、仲間内でTシャツを作るだけでは、単なるお遊びに過ぎません。私たちが持つ問題意識を踏まえ、むしろこのことを世に問うことも重要ではないか。そう考え、今回若手研究者を対象とした実態調査と、グッズ配布を通じたアウトリーチ活動を行うべく、クラウドファンディングに挑戦することといたしました。

 今回クラウドファンディングが無事成功した暁には、研究費は以下の用途に充当します。まず、ファンディングにご参加いただいた方に配布するグッズ作成費用です。具体的には、Tシャツ・ステッカーの作成を行います。また、今回実施する「人文・社会科学系若手研究者の非常勤講師ポストに関する実態調査」にかかる諸費用に、グッズ作成費を差し引いた本ファンディングの費用をすべて充当します。ファンディングの結果頂いた額に応じて、後者の実態調査については、質・量とも拡充を行う予定です。

 この問題については、今まで若手研究者内で囁かれこそすれ、大学・学問領野間の格差の大きさもあり、ほとんどその実態については明らかになってはきませんでした。本ファンディングでは、まずこの実態を明らかにし、かつこの問題を周知することを目的とします。現実的には、本問題には様々な要因が絡み合っているため、短期的な解決は困難であると思われますが、まず問題を「知ってもらうこと」。そのことが、第一であると考えます。

想定される(批判的)問答

Q 私の周りでは非常勤ポストの配分はうまく行っていて、実際私もうまい形で先生から譲ってもらえた。だから、クラウドファンディングなんかをして、自分がさも大学院生の一般であるかのように主張するのはやめてほしい

A まず、そうした多種多様な状況を可視化すること自体が、重要であると考えています。確かに、今私が置かれている状況は「特殊」であり、その問題は大学院一般というよりも私が所属している組織ないしは自己の能力に責任帰属されるべきたぐいのものかもしれません。しかしながら、現状において私たちはそういう判断を可能な材料を持ち得ていないわけです。これがたとえば「調査対象のうち、○割は非常勤ポストを得ていて、そのうち社会学系の人は○割で~」というデータが有れば、私たちは自らがどの程度恵まれていないのかがわかるわけです。その意味において、本活動の趣旨が「恵まれない院生による異議申し立て」(のみ)ではなく、「そもそも今院生が置かれている状況の可視化」にあることは、繰り返し主張しておきたいと思います。言い換えるのならば、「恵まれていようが恵まれていなかろうが」、いろんな方に本活動や、調査に参加してもらうことが重要であると考えています*1

Q この活動の最終目標がわからない。結局制度を変えたいのかどうなのか?

A 本活動の目標は、先述したとおり「異議申し立てを通じた課題提起」と、「実態調査を通じたエビデンスの提供」の2つです。一方で、本活動については、現状継続的実施(実態調査の年次的継続)や、組織化を検討しておらず、あくまでも勝手連的な活動にとどめたいと考えています。これは、そもそも現状林の個人的活動である以上、広がりを持ちようがないためであり、さらにいうのならば、特定の誰かを敵に回すような活動は、この問題の構造を鑑みると行いたくないためです。よって、「制度を変える」端緒となる切っ掛けを作り出すことを望んでいますが、その後については、別様のやり方が必要ではないか、少なくとも本活動の射程外ではないかと考えています。

Q. 調査設計が不透明である。そもそも全国の大学院生を対象とした調査など可能なのか?

A. 後述するように、まだ予算がどの程度確保できるかがわからない状況のため、明確な調査設計については触れられておりません。この点については、ファンディングが成功した段階で、改めてご連絡します。後者については、現状当たりをつけ始めている段階ですが、最悪Web上での非抽出調査であっても、本調査には一定の価値があるとと考えています。というのも、繰り返しますが私たちはその程度のデータすら今有していないからです。

Q. 調査・分析に参加する人を募るっていってるけど、どうやって参加すればいいの?そもそも何をやるの?

A. 私に何らかの手段で連絡ください。調査が本格化したら連絡します。調査・分析については、質問表レベルで関わっていただくことも、データの二次分析をやっていただくのでも構いません。少しでも関心があるのならばご連絡ください(もちろんファンディング成功時で結構です)。

Q. クラウドファンディングで獲得した資金執行の透明性はどう担保するのか?

A. そもそもグッズ作成費とみかじめ代で6-7割行くので、調査費がどの程度確保できるのかが不透明な状況です。調査内容をファンディング額次第で動的に変える予定なのは、そのためです。原則、得た資金はすべてグッズ作成と調査費につぎ込む予定です。

Q. はやくグッズの具体的内容・デザインあげろよ

A. 関係各所と調整中です。ファンディング抜きにしても買いたくなるものにできればと思い努力しています。

Q. 業績にもならないことやるんじゃなくて「研究」しろよ。そんなんじゃ生き残れないよ?

A. こういう議論が出てほしくないことを祈るばかりですが、昨今の情勢を鑑みると出かねない(それも同業者から)と思うので一応書いておきます。局所最適を図って自分が生き残ろうとするのは大事なことですが、それだけではアカデミックギルドを維持することはできません。そもそも今の大学(企業・官公庁もそうだと思いますが)の問題の多くが、そうした局所最適を図り続けた結果ではないでしょうか?ネオリベラル的な自由主義的振る舞いも結構ですが(なんてったってあれは不遇な状況を乗り越えた人間に「能力」という神話を提供するわけですから)、もうそんなこと言って余裕ぶっこいている場合じゃないでしょうと思ってます。だってそうやって競争に勝ち抜いたところで、その勝ち抜いた猿山自体がいつなくなるかわからないんですから。まずは猿山の維持が大事じゃないでしょうか。これは私の、本ページにおける唯一の政治的意見です!

 

*1:例えば研究であれば、学振や研究助成金の採択率は公表されており、多くの分野にて「どの程度」業績を残せばどの程度のポジションに居るのかは、肌感覚で概ね理解可能な状況であるかと思います。一方、非常勤ポストはそうした状況にありませんし、共有も不足気味です。

今更書いた論文の紹介をする①:「消費空間としての郊外を作り上げる――日本の小売店舗郊外化における知識ネットワークの役割」年報社会学論集 2017(30), 110-121, 2017

はじめに

 論文というものは書き手にとって長いようで短く、言いたいことがすべて言えるわけでもないし、さらにレビューワーの意見を取り入れるうちに自分の当初の思いと全然違う方に論が進んでいくという傾向がある。なので、備忘録も兼ねて、どうしてこういう論文を書いたのかとか、なんでこういう研究をしたのかという点を説明できればと思う。

www.jstage.jst.go.jp

論文概略

  • D2の時に掲載された論文。投稿はD1の11月で掲載決定は4月。
  • 一番最初に投稿した論文かというとそういうわけではなく、修士時代に某雑誌に投稿してC→リジェクトをくらった論文と、D1の5月に投稿していた『社会学評論』論文があったので、3本目の投稿となる。
  • 内容はざっくりいうと、1960-80年代の商業コンサルタントの言説を通じて、「1960年代には取るに足らない場所としてみなされていた郊外に、1970年代以降小売業者が進出をしたのはなぜか」ということを知識移転の文脈から論じたもの。特に用いたテキストはお得意の雑誌『商業界』・『販売革新』で、主に取り上げた論者は倉本長治と渥美俊一
  • 上記の問いに対する回答としては、「都市空間の秩序に従って出店することが一般的であった商業立地において、1960年代コンサルタント経営学的知識をもとに異をとなえた。店舗パフォーマンスを実数ではなく地代比で見るべきであると主張したコンサルタントの議論を真に受けた小売企業が、郊外をビジネスチャンスであると捉え、進出し、拡大していったのである」という答えを返しました。
  • 商業空間の構造変化という1980年代以降社会学・地理学・都市計画などで扱われてきた論題を言説分析から論じた点は、今でも新しいかなと思う。というのも、既往研究では既存の都市の秩序をもとに、商業集積の変容を批判的に論じるきらいがあるから。そもそもそうした都市の秩序を所与のものとする視座を乗り越えることで、商業集積が変容してんだから、そこに同じ刀で殴ってもマジで意味ねーよなという批判でもあるんですね。この論文は。
  • しかしまあ、今どきはやりのトピックではないですね。方法論的観点を深める視点は当時ありませんでした。
  • たとえばこの議論はいくつかの既往研究につながりえて、ジェントリフィケーション研究における地代格差論の日本版実証研究であるともいえるし、ボルタンスキーがやってきたような経営知識の社会学的研究の一類型でもあると主張できたと思うんだけど、当時はそこまで思いつかなかったんすよねえ。

悲喜こもごも

  • とにかく書き上げるまでに苦労した論文。本論文は今まで書いてきた論文では唯一の修論からの切り出しを行った論文なのだが、A4で40ページぐらいかけて説明した議論を12ページに無理やり収め、かつ先行研究への寄与を大幅に変えざるを得なかったので、そこで4ヶ月ぐらいかかった記憶がある。修論博論と査読論文は違うということを学ばせてもらった論文。
  • タイトルはハッキングの”Making up people”のもじりで、当初は英語題目ももろにパクっていた。しかし今思えば(同種のタイトルにせよ)もっと良いタイトルはあったなあ…と。偉い先生の有名な論文をもじりたがるという、指導教官の悪い癖ばっか引き継いでんじゃないよという問題はあれど。
  • タイトルももじりだったので、実は当初「はじめに」のあたりで言語行為論みたいな話をしてたんですけど、同僚らにボロクソに批判され、案の定レビュワーからもボロクソに批判されたので、その部分は全て消えました。ちなみに批判は完全に正当でした。
  • 今でも治らない悪癖なんだけど、自分は「査読論文で扱いきれないクソデカ問題を提示して案の定解決しきれずに尻切れトンボで終わる」という傾向にあり、この論文でもそうしたきらいがありますね。